アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
ため息をついた王子は店のいすの一つに腰掛け、パーカーを突然脱ぎ捨てた。
私は突然のことに、咄嗟に彼の体から目をそらし、床に目線を落とした。
すると、彼はさらにTシャツを脱ぎ捨てた。
動いていいのか悪いのかわからない私はその場に立ちすくんだまま、黙って脱ぎ捨てられたTシャツを見ていた。
Tシャツを見つめているうちに、私は妙なことに気がついた。シャツは紺とか黒とか……とにかく黒っぽい色で、そして濡れているように闇の中で淡い外の光をぼんやりと反射している。
汗。
……いや。
私は顔をあげた。
王子の肩のあたりから左腕にかけて斜めに傷が走っていた。そこだけではない、左手の内側にも切ったような傷がある。そこから滴る血が彼の腕を、手を汚している。薄闇の中に浮かび上がるような白い彼の体に、その傷は痛々しかった。
ああ、やはりけがをしていたのは王子だったのだ。
王子はTシャツの血に汚れていない部分を裂いて傷に押しあてた。止血をしているのだろうか。
その様子もやはりどこか手慣れていて、ただ見ているだけの私よりもけがをしている本人のほうがよほど落ち着いていた。
口を挟んでいいのか悪いのか考える間もなく、私は言った。
「救急車を、呼んだほうが」
それを聞いて彼は私の行動を制するようにきつい目で私を見据えた。
「騒ぎにしたくない」
「でも、ばい菌が入ったら」
「すぐに出て行くから口を出さないで」
ぴしゃりとそう言い返した彼は明らかに私のこれ以上の干渉を拒んでいた。
「……」
そういうことじゃない。そういうことを言いたいわけではないのだ。
けれど、元来口下手な私はうまく自分の気持ちを言葉にすることが出来ずにそろりそろりとキッチンの中に入って小さな電気をつけた。
キッチンからカウンターが近い。つまり、カウンターの上におきっぱなしにしている私の携帯はすぐそこにある。
通報しようと思えばできないこともなかった。
けれど、私はすっかりそんな気は失っていた。
彼は油断なく私の手元を見つめていたが、やがて私がケトルに湯を沸かし始めると、神経質な感じのをする眉を寄せた。