アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
しんとした部屋の中にはいってゆくと、虎徹がするりと私の足元をすりぬけて出て行った。
猫には猫の予定があったのだろう。猫の表情がわかるわけではないけれど、こんなところに半日以上も閉じ込められていた虎徹は少し迷惑そうな顔をしていた、ような気がする。
こんな時、いつもならば虎徹に残り物の卵などをあげるのだが、しかし今は猫の機嫌をとっている場合ではない。
私は自宅のダイニングキッチンに入っていった。
このダイニングキッチンの隣が今、王子の寝ている部屋だ。
「王子、大丈夫……?」
返事がない。
まだ寝ているのだろうか。それとも容態が悪くなったのだろうか。
私は怖くなって自分の寝室の引き戸を開け放った。
カーテンを閉め切った狭い寝室の中はまるで元々誰もいなかったかのように冷え切っていて誰の気配も残っていなかった。
ただ、私が用意した彼のための服と、食事が消えていた。
いない。
おそらくそこから出て行ったのだろう、外階段へと続く玄関の鍵が開いていた。
ベランダから外階段を、そして裏路地を見たが、すでに王子の姿はない。サビの浮いた外階段と裏路地、虎徹がよく座っているゴミバケツ。いつもの見慣れた風景が広がっている。まるで昨夜は何も起こらなかったみたいだ。
冷たい窓枠に体を預け外を見つめながら、私は王子の行く先を案じた。
そしてその一方で、私は彼がすぐに出て行ったことに少し安堵してもいた。
『雪がやむまで……、店にいてもいいよ、私は一晩中二階にいて、何も気がつかなかったことにするから』
私は灰色の空を見上げた。
雪はない。
彼は律儀だった。
あんな状態で私の言葉に従う必要などないし、私も何も言うつもりはなかったのに。