アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
「ナイフがないわけじゃないけど、ただ普段は使わないから。
……はいこれ」
私は数年前に片付けたきりのナイフを軽く洗って彼に手渡した。彼はしばらくそれを見つめていたが、やがてナイフを私に返した。
「申し訳ありません。僕は宮廷で育ったから。あなた方のやり方を知らない」
私がナイフを洗っている間に彼は腹をくくったらしい。楊枝をしっかりとつまんでいた。
彼はその身分相応のプライドをもっているようだったけれど、一方で柔軟性がないわけでもないらしい。
ナイフがないわけではないのだし、無理をしなくてもいいと言おうかと思ったが、無理などしていないと言い返されそうだと思いとどまった。
全く唐揚げ一つでめんどくさいことになったものだ。
「……ごめんね、うちは普段誰も来ないから。ナイフも出てこないし、家も散らかってる」
「いいえ。僕は日本を知りたくて日本に来たのだから、あなたのやり方をやってみたい。
……では、いただきます」
「あ、どうぞ」
同じ日本人にナイフがないぞ、なんて言い方をされたら私はむっとしていたかもしれない。
けれどいかにも外国人といった外見で、しかも見るからに私とは育ちの違いそうな「王子様」にそういわれてしまうと、さすがに互いが違いすぎて腹もたたない。
むしろ、今の私は彼の反応に興味をもっていた。もちろん私のそんな気持ちはプライドの高い王子様相手に見せるわけにはいかないけれど。
そのまま立ったままキッチンにもたれて王子が席に着くのを待っていると、王子はいすの傍に立ったまま動かない。
今度は何だ。スプーンか箸かナフキンか。私は思わず身構えた。
「な、何か、足りない?」
彼は少し改まった態度でゆっくりと頷いた。