アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
朝一番のキッチンは震えが来るほど寒い。店の表では昨夜降った雪が半分溶けて側溝に流れ込んでいる。
まず雪をどけて重い看板を引きずり出し、届いた新聞をばらばらにならないようにホチキスでとめる。
続いてキッチンでモーニングゆで卵を作る。サラダ用のキャベツの千切りを水にさらす。キッチンで火を使い、暖房を入れているとこんな季節でも汗がじわりと滲んでくる。そんなものだ。
そうこうしているうちに朝一番のお客がやってくる。
店のガラス戸をあけたのは見慣れたお爺さんの姿だ。
彼は駅前の雑居ビルのオーナーで、自分の所有するビルの囲碁サロンに一日中座っている。
いつでもイギリス紳士のような服装をしていて物腰も穏やかなので周りから「ご隠居さん」と呼ばれて商店街のみなから親しまれている。
お爺さんは数年前に目の病気になって以来、目があまり見えない。日課の散歩も歩きなれた道しか選ばないし、メニューも細かい字が読めないので、彼が来店したときはこちらからモーニングのメニューを読み上げる。
「おはようございます、ご隠居さん。今日はゆで卵とホットドッグとサラダのモーニングですよ、ゆで卵は目玉焼きに変更できますよ」
大きめの声でそう言うと、お爺さんは元々あまり開いていない目をさらに細くした。笑ったのだ。
「ハルちゃんおはよう。ゆで卵をもらえるかな。手間をかけて申し訳ないけど、」
「はい、殻は剥いてお渡ししますね」
キッチンにはすでに殻を剥いたゆで卵がすでに用意してある。
ご隠居が目玉焼きを選ばないであろうことは長年の付き合いなのでなんとなくわかっていた。なぜわかるのか考えてみたこともあるが、結局「勘」としか言いようがない。
ご隠居は彼の指定席のようになっている店の出入り口から一番遠い窓際の席に座ると、コーヒーを運んできた私に向かって頷いた。
「ハルちゃん、今日はどうしたの」