アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

今日もカガン公邸で働くカガン人が店にやってきていた。


カガン人、といわれても大多数の日本人はぴんと来ないだろう。私も近所にカガン公邸ができるまではカガンという国があることすら知らなかった。



カガンというのは正式名称をハザル=カガンといい、アゾフ海沿岸に位置する小さな国だ。

7~8世紀ごろに栄えた国で、もともとはもっと北のほうの遊牧民族だったのがアゾフ海の辺りまで南下して定住した。
一時はロシア帝国の一部だった事があるけれど、ロシア革命のどさくさで独立し、その後いろいろあってソビエトの一部となったけれど、今の国王の父親であるユスティニアノス7世時代に独立を果たし、今は王制をとる独立国家……らしい。


私の世代はちょうど中学や高校のころにソビエト崩壊、以降各国の独立運動などがあった。
だから学校地理の授業ではこのあたりの地域について、ごくさらりと触れただけだ。
今もこの地域は小さな国が知らない間に独立していたりする事があるが、ハザル=カガンもそういう国の一つだ。


話がだいぶ長くなってしまったが、そのカガンという国の公邸がどういうわけかこの店の近くに建てられ、そこで働く公邸職員のカガン人はうちの店を好んで利用する。


なぜ彼らがウチのようなちょっと陰気な店を好むのかというと、私の店ではカガンティーを出すからだ。
今は亡き私の父が、カガン人のお客さんのために彼らの母国の味を再現した紅茶、それをうちの店ではそう呼ぶ。

カガンティーはお湯で淹れた紅茶ではなく、ミルクで煮出した紅茶。つまりロイヤルミルクティーのことだけれど、一般のロイヤルミルクティーと違うのはこれにバターと大量の砂糖を入れることだ。

カガンではバターの浮いたロイヤルミルクティーに喉が痛くなるほど大量の砂糖を入れて飲み、冬の寒さを乗り切る。
彼らが遊牧民族だったころは山羊(やぎ)乳でこれを作っていたそうだ。

私の父がこのカガンティーを出すようになってからというもの、うちの店の売り上げは倍増した。カガン人は本当によくこのカガンティーを飲むからだ。

彼らは暑い時には汗を出すためにこれを飲み、寒いときは体を温めるためにこれを飲む。友人とおしゃべりをしたくなったらカガンティーを飲み、しゃべりまくる。ちょっとした風邪くらいならカガンティーにしょうがのおろし汁を入れて治す。
とにかく彼らはカガンティーを飲む人たちなのだ。

彼らのそういう習慣がなければウチのような小さな古い店はもうとっくにつぶれていたことだろう。

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