親友の死、コトバは罪より重い(アメリカイヌホオズキ)
日比野翔子 あの人と再会
いのち
命は軽いですか?
それとも重たいですか?
一般的にアンケートを取ったら誰もが重いと回答するだろうけれどそれなら犯罪が起こる事なんてない。
誰かが誰かの手によって憎しみや妬みによって死ぬ事だって起きない。
イジメとかで自殺を選んだりもしない。
なんだかんだ人間は口では『重い』と言っても、心の中では命は軽いと思っている人がいる人の方が多いのではないかと考えさせられる。
学校でも、いじめのアンケートをとったりするけれどに意味なんてない。
事件が起きれば誰もが騒ぎ立てる。
マスコミが押し寄せインタビューに答えさせようとストーカーのように付きまとう
でも時が経てば関係者以外みんな事件なんて忘れていく。
よく、過去を振り返ってみましょうって番組とかで、たまたま世間を騒がせた事件が取り上げられたら、そういえばこんな事件あったなぁ…とだけしか思わない。
被害者家族の心情とか加害者家族の心情とか何も考えず現在どのように過ごしているのか取材をしたり報道したりする。
そして、またみんな忘れていく。
だから、いずれ沙耶の事件も尾崎さんの事件も時が経てば世間は忘れる。
最低だけどもしかしたら関係者だって忘れるかもしれない。
いや、忘れるどころか思い出と称して被害者ぶる奴がいるかもしれない。
クラスメイトがいい例えになる。
高校に進学したら一年生は新しい自分のクラスで自己紹介をする。
その時必ずどこの中学出身者なのかも言わないといけない。
きっと反応するはず。
あの事件の中学?と思い興味本位で、どんな事件だったのか聞いてくる馬鹿が一人はいる。
そしてどんな事件だったのか。
関係者といってもクラスメイトだっただけと思っていたら、面白可笑しく梶谷さんの事、沙耶の事、尾崎さんの事を話すだろう。それもいつかは鼠算式に消えていく。
事件は思い出じゃない。
クラスメイトならクラスメイトとしての責任があるはずなのだ。
思い出にして吹っ切れたかのようになってはいけない。
みんなは気づいていないかもしれないけれど梶谷さんは私たちを縛り付けてつけている。
だって謎がまだ残っている。
みんな犯人探しに飽きて、普通に学校に通って普通に勉強しているけど、このままじゃ終わらない。
私はそんな気がした。
卒業までに何かが起きるような…
そんな予感がした。
事件の事を考え過ぎて頭がパンクしているだけなのかもしれないけど、この異様なざわめきは何?