肉食系御曹司の餌食になりました

智恵は驚きと興奮の交ざった顔をして、私の腰に回されているスーツの腕を見ている。

ここは五階フロアの最奥で、ありがたいことに周囲に他の社員の姿はないが、社内で噂が立ちそうな言動を取らないでほしい。

一歩横にずれて支社長の腕から逃れると、その手にファイルを渡した。


「メールの確認が遅くなりました。
ちょうど今、急いで伺おうとしていたところなんです」

「それにしては、楽しそうな声が続いていたようですが」


げ……まさか立ち聞きしていたの?

話題は智恵のプロポーズだけなので困らないけど、立ち聞きなんていやらしい真似しないで、もっと早くドアを開ければいいのに。


文句は心の中だけにして、「すみませんでした」と業務時間中の雑談を謝った。

智恵が部長に叱られることを心配していたはずなのに、なぜ私が支社長に怒られているのか……。

納得いかない気持ちを抱えて頭を下げると、その上に大きな手が乗り、なぜか撫でられた。


「怒っているのではなく、羨ましいと思っていました。私には友人と呼べる人が、この支社内におりませんので」


下げていた頭を戻すと、支社長が寂しげな目をしているのに気づいた。

東京本社ならいざ知らず、この支社内に友人は作れないよね。

同じ年代の男性は結構いても、去年やってきた経営者一族の上司に向けて、気安く『飲みに行こうよ』なんて誘えないだろうし。

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