肉食系御曹司の餌食になりました
仲間の伴奏と、自分の歌声、目を閉じて聴き入ってくれるお客さんの顔と、味わいのある木目調の店内インテリア。
それらをうっとり堪能しながら歌っている私の視線は……左端のカウンター席に座る、ひとりの客でピタリと止まった。
仕立てのよさそうな濃紺のスーツと、有名ブランドのお洒落なデザインのネクタイは、今日、会社であくびをした直後に目にしたものと同じ。
ブランデーグラスを片手に、物問いたげな顔をして、じっとこちらを見つめる男性は……麻宮支社長だった。
マズイ!と強い焦りが湧いて、一瞬、歌を忘れてしまう。
その直後にシゲさんのドラムが、楽譜にはない一打を強く放ち、ハッと我に返った私は慌てて歌を続けた。
焦った理由は、智恵以外の社員には、こういう一面があることを秘密にしているから。
副業禁止ではないが、望ましくないと社内規則に記されている。
いや、それよりも、社内で変な噂を立てられることを警戒していた。
ジャズが好きで、私の歌を聴いてもらえることを楽しんでいるだけなのに、夜の街でアルバイトをしていることで、卑猥な方向へと誤解されかねない。
そこまでいかないとしても、地味女とのギャップに、ヒソヒソと陰口は叩かれそうだ。