肉食系御曹司の餌食になりました
建物の裏側の工房入口に辿り着くまでのほんの数十秒が、どれだけ長く感じたことか。
この早い鼓動が伝わるのではないかと焦る私に対し、彼は平然としていて、引き戸の前で私を下ろすとノックをしてから扉を開けた。
「園辺さん、お邪魔します」
広さ二十畳ほどのコンクリート打ちっ放しの空間には、大きなガラスの溶解炉がど真ん中に置かれていた。
炉の口は等間隔にぐるりと数ヶ所ついているようで、炉を取り囲むようにガラスを成形するための作業台が五ヶ所も設置されていた。
作業をしている人は三人いて、全員男性。
その内のひとりがやりかけの作業を終わらせてから、私達の前に来た。
半袖Tシャツにデニムを穿いて、軍手で額の汗を拭う男性は五十代くらいに見える。
彼がきっと園辺さんで、無精髭に親しみやすい笑顔を浮かべて支社長に話しかけた。
「やあ、聖志(サトシ)くん、いらっしゃい。
今日はスーツでどうしたの? 彼女まで連れちゃって」
聖志くん……?
親しげな呼び方からすると、どうやら支社長は仕事としてこのガラス工房に出入りしているのではないと分かる。
戸惑いながらも「平良亜弓と申します」と自己紹介して頭を下げ、「私は彼女ではなく部下です」と訂正しておいた。
「どうも園辺です。平良さん、そんなに畏まらないで楽にしてよ。おっちゃん達怖くないから。
聖志くんの部下なの? へぇ、聖志くんて役職ついてんのか。偉いなぁ」
「いえ、役職なんてついていませんよ。部下ではなく、いつも先輩と呼んでくれる可愛い後輩です」