肉食系御曹司の餌食になりました
「ね、亜弓さん」と向けられる笑顔からは、話を合わせなさいという指示的なものが伝わってきた。
どうやらここでは支社長という肩書きや、大企業の御曹司という背景を伏せているみたい。
それなら最初に説明しておいてよと思いながらも、「そうですね、先輩」と棒読みで話を合わせ、取引先ではないこの工房に一体なにしに来たのかという疑問を目で訴えた。
「亜弓さん、吹きガラスを体験されたことは?」
「ありません」
「では私が教えます。
楽しいですよ。売り方だけではなく、作る世界も知っておくべきです」
ガラスを商品として扱う社員として、よりガラスへの造詣を深めるために、吹きガラスを体験しましょうと連れて来られたのだろうか?
それならば、仕事と無関係ではないけれど、私達が扱うのは主に板ガラスで、ガラスのコップやお皿は取り扱っていないことを支社長ももちろん分かっているはずなのに。
近いようで遠い、うちの会社とガラス工房。
親しげな呼ばれ方や『私が教えます』という言葉から、支社長は結構ここに通っているみたい。
「炉のひとつをお借りします」と言った支社長に、極自然に背中に手を回され、奥へと導かれる。
後ろから園辺さんに「先週作ったやつ、そこに置いてあるから持ってってな」と声をかけられた。
『そこ』というのは徐冷炉と書かれた、ごつい冷蔵庫みたいな箱の横にある木の棚のようだ。
きっと作ったばかりのガラス製品の熱をゆっくり冷ます必要があるから、すぐには持って帰れないのだろう。