肉食系御曹司の餌食になりました
焦りがすっかり引いているので、普通に楽屋を出てドアに向けて歩き出す。
ここは色んなテナントが入る総合ビル。トイレは各フロアに共同のものが一ヶ所だけで、店外にある。
ジャズのCDが流される店内は、お酒を楽しみつつ次の生演奏を待つお客さんで満席。
歩きながらフロアを見回していると、「アン、今日も聴きに来たよ」と常連客に声をかけられ、少し立ち話をしてから店外に出た。
店内に麻宮支社長の姿はなかった。
もう帰ったのだろうとホッとして廊下を奥へと進み、トイレに入る。
用を足して洗面台の前に立つと、鏡に映るのは華やかな女性。
きちんとメイクをして着飾れば、そこそこ美人だと思う。
この容姿と歌声に惚れたと言ってくれた男性は、過去に数人いた。
その内のひとりは去年の夏に別れた元彼で、この店でアルトサックスを吹いているジャズ仲間だ。
どうして別れたのかと言うと、彼が好きなのはAnneであって、亜弓じゃなかったから。
地味な姿で会えば露骨に嫌な顔をされ、付き合いを続けることが次第に苦しくなった。