肉食系御曹司の餌食になりました

歌わなくてはならない状況の中で、重大な心配事がひとつあった。

ジャズシンガーとしての顔を知られたら、会社での地味で落ち着く毎日が崩れるような……。

私の戸惑いは口に出さずとも伝わったようで、ギターを手にした支社長が優しく諭しにかかる。


「アンも、あなたという女性の一部です。隠す必要がどこにあるのですか?
普段の控え目なあなたの中にある意外な一面は、とても魅力的ですよ。出し惜しみせず、さあ歌って下さい」


ああ、この人は全くもう……。

そんな言葉をもらったら、反論できなくなるじゃない。

覚悟を決めた私の口元には笑みが浮かんでいた。

防寒に羽織っていた毛皮の白いショールを外してステージ下に投げると、スタンドマイクのスイッチをオンにする。


「一曲目はA Love That Will Last 。
私の歌を聴いて下さい」


この曲は、ひと月ほど前のAnneの姿でのデートのとき、支社長にリクエストされた曲だ。

その曲を歌えるかどうかは、そのときのメンバー次第で、残念ながらまだリクエストに応えられずにいた。

でも、このメンバーならできる。
支社長のギターの腕前は未知数だけど……。


すぐに始まるドラムとコントラバスのベースに、ピアノとギターも加わって前奏が流れている。

本当にギターを弾けるんだ……しかも結構上手い。

支社長こそ出し惜しみせずに、もっと早く教えてよ。

そうすればベッドの上だけじゃない、熱く楽しい夜を過ごせるのに。


彼と目を合わせて微笑み合うと、私はマイクに向け、しっとりと心を込めて歌い出す。

永遠に私だけを愛してほしいと願う、ラブソングを……。


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