肉食系御曹司の餌食になりました
「智恵、ありがとう。もういいから、彼氏のところに行って?」
「でも、私の仕事を亜弓に押し付けちゃった感じだから、悪くて……」
「大丈夫。ひとりでやっても、後一時間もあれば終わるから。ほら、彼氏が待ってるよ。急いで」
後一時間で終わると言うのは、真っ赤な嘘。
日付が変わる前に帰れるのかどうか、怪しい感じだ。
智恵が済まなそうな顔をして帰ると、とうとう事業部のフロアは私ひとりになり、キーボードを叩く音が大きく聞こえるほどに静かだった。
照明は私の上のみで薄暗く、三十分後には廊下の明かりも照度を最小まで下げられてしまった。
帰りたいのに、帰れない……。
それというのも、この企画を今年のクリスマスに実現させようとしている支社長のせいだ。
無理せず、来年の計画にするべきだと言いたいけれど、私ごとき下っ端が、ここのトップである彼に逆らうのは難しい。
「はぁ、疲れた……」
思わず弱音を漏らしたら、コツコツと革靴の音が聞こえて振り向いた。
開けっ放しのドアから誰かが入ってきて、明かりが届く距離まで近づくと、支社長であることが分かった。
その手には、このフロアの自販機で売られているカップの珈琲ふたつが持たれていて、ひとつを私に差し出すと、彼は「亜弓さん、お疲れ様です」と素敵に微笑んだ。