肉食系御曹司の餌食になりました
「知らないと言ったのは……中に入ったことがないという意味で、店名は知っていました。
友達から、その店の話しを聞いたことがあるんです」
この説明で納得してくれるかどうか自信がなかったが、意外にも彼から「そうでしたか」と素直な返事が戻ってきた。
心の中で大きな溜息をつく。
ホッとした後はこれ以上のボロを出さない内に、早く支社長から離れなければという気持ちになる。
「お疲れ様でした」ともう一度頭を下げて背を向け、歩き出したが、すぐに隣に並ばれた。
「夜も遅いので、ご自宅まで送りましょう」
「いえ、大丈夫です。
タクシーで帰りますから」
「そうですか。
では、タクシー乗り場まで送ります」
同僚ならいざ知らず、『付いて来ないで』とは、支社長相手に口にできない。
一本向こうの大きな道に出れば、客待ちのタクシーがいるはずで、早くそこに着きたいと、自然と早足になった。
すると大きなストライドで、急ぐわけでもなく隣をぴったりと付いてくる彼が、不満気な声色で話しかけてくる。
「亜弓さん、なにをそんなに警戒しているのですか?」
「警戒……なんてしてません」
「へぇ、してないんですか。それは心外ですね」
「えっ?」
客待ちのタクシー数台が見えるところまで来たのに、腕を掴まれ、ビルとビルの隙間の狭い路地に連れ込まれた。