肉食系御曹司の餌食になりました
十八時に退社して、夕暮れの街を南東へと歩く。
後一時間もすれば夜の帳が下りて、街にネオンの花が咲く。
商業ビルの谷間を進み、車も人通りも多い方へと足を運ぶこと十分ほどで、自宅ではない目的地に到着した。
ここは札幌一の夜の繁華街『すすきの』にある古びたビルの前。
ローヒールのパンプスをコツコツと響かせて階段を下り、地下一階に店を構える『ジャズ&バー・アルフォルト』のドアを開けた。
開けた途端に耳に聞こえるジャズ。
開店間もないこの時間、テーブル席に客はまばらだが、私がステージに立つ頃には空席を探すほどに賑わうことだろう。
私はこの店で、ジャズシンガーとして歌わせてもらっている。
もう八年の付き合いになるマスターはジャズ愛好家の六十代の男性で、バーカウンターの中でお酒を作りながら、私にウインクをひとつくれた。
笑顔でそれに応え、壁際を奥へと進む。
段差のないステージには、グランドピアノとドラム、コントラバス、スタンドマイクや譜面台がセットされている。
ステージ横に『スタッフオンリー』と札を付けた木目のドアがあり、開けるとそこは事務所兼楽屋。
古びたソファセットや物が散らかった事務机、楽譜が無整頓に詰まった書棚など、雑多な空間が目の前に広がった。