たったひとつの恋をください




調理実習の最中、琴里が倒れたことがあった。


あの事故以来、一度も焼いていなかったパンケーキ。


もう随分前から料理は難なくこなせるようになっていたし、火を見て怖がることもなくなった。


トラウマは消えたんだと思っていた。


だけど、消えてなんていなかった。


ただ、蓋をして、心の奥底にしまい込んでいただけでーー


パンケーキが焼ける匂い、焼きあがっていくその途中に、ふいに蓋が開いた。


開けてしまった。封印した記憶が顔を覗かせた。



ーーやめて。でてこないで、お願いだから。



あの日の恐怖がフラッシュバックした。


熱くて、痛くて、怖くて、このまま死んでしまうんじゃないかという恐怖。


どこにもケガなんてしていないのに。


心の傷が、再び開いてしまった。


傷は、癒えてなんかいなかった。


ただ、そう見えていただけでーー。




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