好きになるまで待ってなんていられない


仕事帰りに買い物を済ませ、アパートの前を通過して右に折れた。
前面は10台足らずの駐車場になっている。
階段は建物の奥側にある。

あ、煙草の匂いがしている。もう、居るのはこの位置からでも確認出来た。
ボーッと人の影が見えた。このまま行けばまた会ってしまう。
引き返す事は余りにも不自然過ぎる。真っ直ぐ歩いて行くしかない。

…ふぅ。
大人として声は掛けないと駄目よね。

「こんばんは」

「…こんばんは」

…。

あぁ、…気まずい。会いたくて会ってる訳じゃないのに…。
頭を軽く下げ、階段の登り口、一段上がりかけた。

「やっぱりな」

…え?

「…右肩、下がってる」

「え?」

「あんた、いつも同じ方で荷物持ったり、バッグ掛けたりしてるだろ」

え、何、突然…。

「あの…」

「仕事、何?…事務職?座りっぱなし?脚、組む?」

はあ?いきなり質問攻め?

「え、あの、え?なんでしょうか…」

「脚、よく組むだろ。それも同じ方の脚で」

…確かに、組むけど。

「…は、い。組みますけど…」

何だかよく解らないまま返事はした。

「来いよ」

え?

「は?あの…」

いきなり何を言ってるの?…コイヨ?

「仕事帰り、来いよ。診てやるから」

あ、来なさいって意味ね。…どうして行かないといけないの。

「あ…、え、あの」

…馬鹿みたいに言葉が全く出て来ない。
一瞬の事だった。
煙草を消したと思ったら、フェンスを越えてあっという間に側に来ていた。

ぇえ?!

「な、何ですか!?」

逃げようと思ったのに動けなかった。

「フッ。いつも右でばっかり荷物を持ってるからだ。それに」

顔を近付けられた。

…え、な、に?

「化粧はしてるようだけど、…血色、悪そうだな。身体、冷え症だろ。肌、くすんでるだろ?」

え、…。顎に手をかけられた。
言葉も出なければ、顔を背ける事も出来ない。つまりあまりの突然の事で固まってしまったんだ。
…死ぬほどドキッとさせられたのに、死にたくなるような事を至近距離で言われた。解ってるわよそんな事。特に男の人には言われたくない言葉。何にも関係ない男に言われる程、傷付いた上に腹の立つ事は無い。

「あ、あ…貴方に、いきなり、…そんな事、言われたくない」

「何?」

近くて迫る顔は威圧的にも見えた。

「…酷い。…はぁ。何でもありません。どいてください。……おやすみなさい」

ぶつかるようにして避け、階段を上がり始めた。

「来いよ〜。施術料は取らないから〜」

誰が行くか。…もう。…もう。…嫌。何も聞こえないんだから。
途中から久しぶりに駆け上がった。

ガチャガチャとドアを開け、逃げるように入り込んだ。

カチャ。
はぁ……、はぁ。
はぁ、もう…嫌。なんて酷い言われよう…。初めてでここまで言う事?

はぁ、……明日からどうしよう…。絶対、会いたくない!
時間、ちょっとだけずらせば会わずに済むかも知れない。遅刻する訳にはいかないから早目に出なくちゃね。

…。

…何よ、もう。いきなり、訳が解らない。どれだけ落ち込むと思ってるのよ。
肌の調子が良くないなんて、言われなくても解ってる、知ってる。…酷い。いきなり、あんまりじゃない?

何よ、…来いよって、…何よ…。
何よ、アイツ…。

挨拶だけしかしてなかったくせに。…いきなり…何よ。急に話し掛けて来たかと思ったら…。
私だって…、どんなに状態が悪くたって、…オバサンだって…、女なんですからね。
解ってても、言わなくていい事ってあるでしょ?女にとっては、年齢が高くなる度、デリケートが増す話なんだから。
貴方が思っている以上に…傷ついているんだからね…。
…何よ……もう。腹立つー。
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