お口にクダサイ~記憶の中のフレグランス~
詠美ちゃんの事は、当初特に意識しなかった。お茶だしをしてくれる事務員さんとしか思っていなかった。

けれど、他の病院の内覧会でその日雪が降っていて、御簾にみたててブラインドを上げて、清少納言の香炉峰の雪の話をしていたよね。それで君に興味を持ったんだ。

君の視線を感じてはいたけれど、君は自分に自信がなくて、僕に対しても気後れしていたよね。

そして君が男性のフレグランスで、ポロスポーツが好きだと言っていたのを思い出した。最初は軽い気持ちで挑発しようと思った。香りで挑発しようと。

僕はずるいよね。既婚者だから僕から手を出すのは、不味い気がしたんだ。そして君の方から、食い付いてくるように仕向けたんだよ。

そして君はその挑発に気がついた。けれど、何も言ってこない。そこで話の流れから、僕の事を見ているよね、と言うと図星だったみたいだった。顔を赤らめて戸惑う所が、可愛かったよ、本当に。

僕を妄想で落とせたら、キスしてあげる、キスから先も同じだよ、と駆け引きを持ちかけたよね。僕は本当にそういうのが好きだったんだ。

久しぶりだった。そんな駆け引きが。君は駆け引きしがいがあったよ。反応がよかった。こちらが予想しないような事をして、その度に驚かされて楽しかったんだ。

その頃は、まだセックスが出来なかったんだよ。嫌悪感から抜け出せずにいた。

だから駆け引きは、それを隠す手段でもあった。誤算だったのは、君に本気で惹かれて行ったことだったんだよ。

数々の誕生日なんかの演出は、君に本当に惹かれてしまっていたからだったんだ。完徹までして、部屋をディズニー仕様に飾り立てた。

君の喜ぶ顔見たさにね。

愛しているのに、当初は君を抱くことが出来なかった。そのお詫びの印でもあったんだ。

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