お口にクダサイ~記憶の中のフレグランス~
「え?今夜なの?」
「ああ。そうなんだ。言ってなかったっけ?早く帰ってくるから待ってて。部屋で」

由美子さんと、例の先生の会計事務所にお世話になりたいとか言う知人と会う日だと言うことを聞いていたのに、すっかり忘れていた。

「・・・うん。待ってるね」そう言い、電話を切った。定時で仕事を終えて、そのままマンションへ向かうべく電車に乗った。

先生の部屋に通うことが日常になってきた。最近最低でも週に1度は、マンションに行っているような気がする。

先生の事が好きなのに、だんだんマンションの部屋の様子が変わっていく事に戸惑いを感じていた。今まで先生は仕事が遅くなり、自宅に帰るのが面倒で、ここで寝泊まりをしていた。仕事場でもあるので、たまった仕事をここで片付けたりしている時もあった。

だから部屋は最低限のものしかなく、どちらかといえば、殺風景だった。しかし、この頃はここで生活しているかのように、物が増えてきた。

スーツや服、そして食材に、食器、調理器具。先生は私に何も言わないから、思い過ごしだろうか。

明日は休みだったので、泊まるつもりだった。先生は仕事で朝早いから、ゆっくり眠っていていいよ、と言ってくれている。

この部屋には私の私物もだんだん増えてきた。一緒に過ごす時間が増えたのは、正直嬉しい。

しかし、それは奥さんとの時間が減っていると言うことにもなる。あまり考えないようにしていた奥さんの事を考えるようになっていた。

うまく行っていないのだろうか。私が心配するのは不謹慎な気がして、何も思わないでいよう。そう自分に言い聞かせる日々が続いていた。


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