Open Heart〜密やかに たおやかに〜
さっき席を立ったタイミングがまずかったんじゃないかと少し心配していたが、離れた場所から見る限り、特に問題は無かったようだ。
マキや宮本くんを相手にシュウちゃんが笑顔で話しているのが見える。
シュウちゃんたちのいるテーブルへ戻り、何も無かったみたいに腰を下ろした。
「樹里、コレ美味しいよ。あったかいうちに食べなよ」
マキが溶岩で焼いたという牛タンを勧めてくれた。
「うん、ありがとう」
「宮路よぉ〜今さ、岡田課長の恋愛観を聞いてたんだよ。いやぁ、熱い男だよ。岡田課長は!」
そう言ってから、牛タンを口に運ぶ宮本くん。
シュウちゃんが何か自分の恋愛観を語ったのだろうか。
今まで一度もシュウちゃんから、そんな話を聞いた事がなかった。
シュウちゃんの恋愛観って、どんな感じなのだろう。
ちらっと隣のシュウちゃんを見た。
シュウちゃんの横顔。高い鼻すじ、シャープな顎のライン。グラスを持つ長い指。
見慣れたシュウちゃんのそれらが今日は、懐かしくて、とても切なく感じた。
そもそも、私はシュウちゃんのことをどのくらい知っていたのだろう。
大学でデザイン学科を専攻していたというシュウちゃん。本当は、デザイナーとして働きたかったようだ。
だが、イマイングループというグループ企業の筆頭株主の息子であるシュウちゃんには、この世に生まれおちた時から既にあらかじめ敷かれたレールがあった。
ご両親に、ゆくゆくは、お兄さんと力を合わせてイマイングループを盛り立てていってもらいたいと言われて育ったシュウちゃん。
デザイン学科へ行くのは、許されたものの、シュウちゃんにその先を選ぶ自由は与えられ無かったらしい。
仕方なくシュウちゃんはデザイナーになる夢を諦めてイマイングループのアパレル企業に入り働き始めて現在に至る。
元来、真面目なシュウちゃんは経営についても学ぶために図書館でたくさんの本を借りて勉強していたのだ。今でも、図書館通いは続いている。
その図書館通いの際に、出会ったのが私だ。
シュウちゃんの家程の財力があれば、本くらい幾らでも買えるはずなのに、シュウちゃんは図書館通いをしていた。
不思議に思って以前、シュウちゃんに尋ねてみたことがある。
『どうして、本を買わないで図書館で借りるの?』
『借りるのは、大抵仕事に関する本だけだよ』
『へぇ、どうして?』
『仕事に関する本は、大抵面白くないんだ。特に経営に関する奴。だから、あえて借りることで自分に期限を設けてるんだ』
『期限?』
『うん、返却日までに全て頭に入れるって期限。買っていつでも読めると思うと、全く身が入らないからね』
あの時に感じた。
シュウちゃんは、頭が良くて合理的な人だ。
そして、シュウちゃんは、とても頑張っている。本当に進みたい道を諦めて、親のため、家のために面白くもない経営や今の仕事に繋がる本を読んで頭に入れようとしている。
だから、あの時、私はシュウちゃんを無言でかき抱いた。それを思い出すと、切なくて泣きそうになる。
シュウちゃんが家族のこと、自分の自由にならない人生について愚痴ったことは、一度もない。
シュウちゃんが屋上に行って、どうにもならない想いを紙飛行機に乗せて飛ばすのには、理由がある。それが少しでもシュウちゃんの気持ちを楽にする術で、その術を私にも教えてくれたシュウちゃんを、私は勝手に理解した気になっていた。
「マキさんは〜これから恋愛するとして、どんなのが理想?」
相変わらず宮本くんがマキに恋愛トークをしかけている。
「そうだなぁ〜」
真剣に考えている風のマキ。
私は、微笑みながらマキを見て、それから、ゆっくり窓の外へ視線を投げた。
綺麗な夜景も感じのいいピアノの曲も、今の私には必要無い。
「う〜ん。結局、笑っていられる関係の恋愛かなぁ。もちろん、ドキドキもしたいけど」
マキが真剣に応えた言葉が、何故か胸につき刺さってきた。
笑っていられる恋愛……。
シュウちゃんといると、いつも楽しかった。からかうと、シュウちゃんは真面目だからいつも本気にした。そんなシュウちゃんが大好きで、可愛くて抱きしめたくて、抱きしめられたかった。
テーブルの上に置かれた私の手、その近くに並ぶようにして置かれたシュウちゃんの手がある。
少しだけ動かせば、動かせるなら……。
人差し指を少し上げた時、後方から聞き慣れたスマホの着信音が聞こえてくる。
私のスマホだ。
弾かれたようにしてテーブルに置いていた手を引き、バッグに手を伸ばした。