Open Heart〜密やかに たおやかに〜
ひび割れた画面に表示された名前を見て、体が固まってしまう。
「どうかした? 顔色悪いけど…樹里。病院から?」
父さんの入院している病院からだと思って心配そうな表情をみせるマキ。
「違うの、大丈夫。ちょっと……ごめん」
スマホを手にして、私は、また席を離れた。
どうして、電話なんか。
店の外に出て、急いで電話に出る。
「樹里か?」
山田課長が私の名前を馴れ馴れしく呼ぶ声が聞こえてきた。
「はい、何でしょうか」
スマホを掌で覆うように隠し、声が漏れないように小さな声で返事をした。
「こっちは今、打ち合わせが済んだところだ。そっちは、まだ、岡田課長たちと一緒にいるのか?」
「えぇ」
「じゃあ、店の名前と場所を教えてくれ」
話しながら、少しずつ店から離れて歩いていた私の足が止まった。
「は? どうしてですか? まさか、ここに来るつもりですか?」
「ああ、そのつもりだ」
山田課長ってば、何のつもり?
「どうしてです? 話なら……」
そこまで言って、店の方を振り返った思わず私は息を飲んでいた。
店の外に出てきたのは、宮本くんだ。私を見つけると、ツカツカと近づいてくる。
「大丈夫か? 宮路。本当に病院じゃない? タクシー捕まえようか?」
心配して追いかけてきてくれたようだ。
「ううん、平気だよ。……山田課長からだから。ごめんね、宮本くん、ありがとう」
お礼を言って私は笑顔を作った。
「山田課長か、 何だって?」
「それが……」
山田課長に会いたくないし、来てもらいたくもない。だから、口ごもってしまった。
「どうしたんだよ、宮路」
「あ、うん。……」
目の前にいる宮本くん。懐かしく思い出す学生時代の宮本くん。その武士みたいな風貌に合った性格をしている。
面倒見が良くて、頼り甲斐のある同級生だ。でも、宮本くんにも私の問題は話せない。
話せば、宮本くんに心配をかけてしまう。宮本くんなら、きっと私を助けようとしてしまうだろう。
そうなったら、宮本くんに多大な迷惑がかかる。
私の問題は、私自身が背負うべきだ。
耳に当てていたスマホから、こちらの様子を窺っていたらしい山田課長の声が聞こえてきた。
「宮本さんと話したい。電話をかわれ」
「えっ」
「早くしろ」
せかされてしまい、私はスマホを宮本くんに差し出した。
「ごめん、山田課長が宮本くんと話したいみたい。変わってくれって」
「俺と? 」
コクリと頷くと、宮本くんは、私のスマホを受け取った。
私の隣でスマホを耳に当て、山田課長と話をしている宮本くん。
「……ああ、はいはい。……えぇ、いいですよ。場所はですねー」
山田課長は、宮本くんに今からここへ来たいと申し出ているようだった。
店の場所なんかを説明し始めた宮本くんをそばで待ちながら、私は既に憂鬱な気分にとらわれていた。
さっき、会社の前で、山田課長がふいに近づいてきて、シュウちゃんに見せつけるみたいに私の頰にキスしてきた事を思い出す。
最近は嫌な思い出が増えていく一方だ。
早く終わりにしたい。こんな芝居は沢山だ。
それには、言われた通りに演技しているしかないのだろうか。
もう、シュウちゃんは十分すぎるくらいに遠くに行ってしまったと感じているのに。これ以上、何の芝居を仕掛ける必要があるのだろう。
あとは、近いうちに私が会社を辞めてしまえば、きっとシュウちゃんの心は私から完全に遠く離れていくはず。
そうすれば……
離れてしまえば、きっと私もシュウちゃんを忘れられるだろう。
私は、首から下げているネックレスに服の上から触れた。
性懲りもなく、私は、まだシュウちゃんからもらったデザインリングをクビから下げていた。
今夜、家に帰ったらコレは外そう。
そして、2度と身につけない為にクローゼットの奥深くへ仕舞い込めばいい。
宮本くんが返して寄越したスマホの割れた画面を眺めた。
「山田課長、来るってさ。なあ……良かったな……でいいんだよな?宮路」
「ぇ……」
まっすぐに私を見てくる宮本くんの瞳を見つめ返した。勘ぐるように私を見ている気がする。
何か感づいたのだろうか。
だとしたら……
「もちろん……だよ。ありがとう、宮本くん」
これが今私が出せる精一杯の作り笑顔だ。
同級生の宮本くんに全てを話して、苦しい思いを全てさらけ出せたら、どんなに楽になるんだろう。
家族のこと、もらったお金のこと、シュウちゃんのこと。演技をしなければいけなくなっていること。
誰にも話せないことを1人で抱える、それがどんなに大変かを、全く考えていなかった訳じゃない。
演技を続けることが、家族、シュウちゃんのためになる。そのために1人で頑張ろうと決意したのだ。
でも、今、私は甘かったと身にしみているところだ。
宮本くんに向けて、私は、きちんと演技出来ていただろうか。そう思いながら、宮本くんより先に店に入り、マキやシュウちゃんの待つテーブルへ戻り始めていた。