Open Heart〜密やかに たおやかに〜
「いい加減に諦めろ」
「へ?」
「王子なんか諦めろって言ってんだよ」
「だから、諦めますよ。貴方に言われなくても。離してくださいよ。なんか同情してるんですか?かわいそうな町娘に」
ズルズルと鼻をすする私から山田課長は静かに腕を離した。
「汚らしい町娘に同情なんかしない。自業自得だからな」
「じゃあ、どうして…」
突然私を抱きしめた意味が聞きたかった。
「どうしてだと? なにが?」
逆に聞き返されて私の方が混乱してしまいそうだ。
「へ、いえ、あの、抱きしめたのは、どういう意味ですか?」
「意味なんかない。仕事仲間として今日は良くやったなっていうねぎらいのハグをしただけだ」
まさかの答えに呆気にとられてしまう。
「ねぎらいのハグですか?」
「なんだ、もっと意味のあるハグの方が良かったのか?バカバカしいこと言うな」
「バカバカしいって……あのですね!」
「早く家に入れ」
山田課長は、シッシッと私を追い払うみたいに手を動かして見せながらタクシーに乗り込んだ。
なによ、あれ。
ねぎらいのハグですって?
信じられない。
そんなことしないでよ。大体、馴れ馴れしいのよ。嫌いな男からされるハグなんて最低な気分にしかならないじゃない。
タクシーのドアが閉まり、すぐに窓が開いてきた。
窓から顔を出した山田課長が
「王子のことは早く忘れろ。それで風呂に入って早く寝ろ」
と、早く早くとせかすように言ってきた。
「余計なこと言わないで、早く帰ってくださいよ」
「ああ、わかった。バカバカしいから、もう行く。じゃあな」
窓から手を出して、バイバイするみたいに手を振ってきた山田課長は明らかに奇妙だ。
初めから変な人だったし、一筋縄ではいかない人だ。だから、苦手なのだ。
その苦手な山田課長は、今日も、シュウちゃんの前で、演技とはいえ、やはり意地悪だった。
その上で、いきなり、理由のないねぎらい?のハグ。
よくわからないが、おそらく山田課長は、噂どおりの肉食なんだろう。
そういう結論に達した。そう考えるのが、自然でわかりやすいし、ホッとする。
女なら誰でもいいってタイプなのだ。
よって、嫌なタイプだがコイツも考えてみれば女だ。それならコイツでもいいか、みたいに思って手を出してきたに違いない。
なんて男だ。これは、今まで以上に用心しておかないと危険かもしれない。
私はアパートの階段を上り、部屋の前に立ってから、辺りをキョロキョロ見渡した。
まさか、またいたりしないよね。
今日の一連のショックな出来事が、今の山田課長の言動により、一度にかき消されてしまった。
溢れそうな涙も、山田課長の謎の行動に驚いて引っ込んでしまっていた。
考えるのは、よそう。
あと少し頑張ればいい。そうすれば、私は自由だ。
急いで鍵を開けて、私は、そそくさと部屋に入り、ドアを閉める時には、もう一度近くに奇妙な輩もいないことを再度確認した。