Open Heart〜密やかに たおやかに〜
ここで私から山田課長にキスすれば、そうすればシュウちゃんは、きっと……。
そう思うのに体がいうことをきかない。
動かないのだ。
「どうした」
「わたし……」
シュウちゃんが見ている。そう思ったら、余計に動けなくなった。
「やめるのか」
「違う……」
「何が違うんだよ」
……
……
違う。
何もかもが違う。
「……できません」
小さく呟いていた。
「なんだと?」
眉をひそめる山田課長。
「すみません」
山田課長の肩から手を離し、つま先だちも同時にやめた。
「契約は、どうするつもりだ」
契約。
一億円の小切手と、借金返済のお金をもらい、シュウちゃんと別れる。
「契約は……」
先のことを全く考えていない訳じゃない。だけど、今、私に出来ることは、山田課長とキスをして、それをシュウちゃんに見せつけることじゃあない。
それじゃない、そんな気がする。
「契約は破棄する」
私の代わりに声を発したのは、シュウちゃんだった。
シュウちゃん、どうして?
契約のことを知っているの?
一歩、また一歩。
力強い足取りで私の方へ近づいてくるシュウちゃん。
私の前に来ると、私は腕を引きシュウちゃんは自分の背中に私を隠すようにして動いた。
「契約は破棄する。これ以上、樹里に近づくな」
シュウちゃんは、はっきりと山田課長にそう言った。
「ふん、おせーよ。本当に彼女が俺にキスしてきたら、どうするつもりだったんだよ」
「樹里は、好きでもない男に自分からキスするような女じゃない」
「信じているのか? 金で動いた女だぞ」
「信じてる。樹里は、理由もなく金を受け取り契約するような女じゃない」
山田課長とシュウちゃんの間だけで、話がどんどん進んでいく。
話の感じから察するにシュウちゃんは、私が社長と結んだ契約のことを知っているようだった。その上で、その契約を破棄すると山田課長に言ってくれたのだ。
「ま、どっちでもいいよ。どのみち町娘は、俺のタイプじゃないからな」
フッと私に笑いかけ、山田課長は私たちから離れていく。
「山田課長」
私の呼びかけに足を止めた山田課長。
「契約がうまくいかないと、山田課長は困るんじゃ?」
山田課長は、社長と契約して自分の地位とお金を手に入れる予定だったはず。
「困るよ。もしかしたら、俺はクビになるかもな」
「そんな……」
山田課長は、好きじゃないが、私のせいで会社をクビになったら、やはり気が咎めてしまう。
「お人好しのあんたに教えとく」
メガネのフレームを上げた山田課長。
「全員が幸せなれる、思い通りに生きられるなんて考えは捨てた方がいい。一方が幸せになれば、一方は幸せには、なれない。それが自然の摂理だ」
そう言ってから、くいっと口角を上げた山田課長。
確かにそうかもしれない。だが、私のせいで山田課長が不幸になるのは、喜ばしい話じゃない。
私がきちんと演技していたら、シュウちゃんを諦めらめることが出来たら、山田課長はきっと出世出来たのだろう。
屋上の扉へと歩く山田課長の靴音が響き、やがて消えていった。