Open Heart〜密やかに たおやかに〜
「あんたのせいで、ネクタイが曲がったぞ」
ネクタイの位置を直しながら、山田課長はムッとした顔をしていた。
「すいません。こんなところに山田課長がいるとは知らなくて」
「あんたに1つ注意しておく。慌てて目の前のものを見逃すな。それと、勝手に他人の心配したり、考え無しに無鉄砲な行動するな」
「あの、だけど…私、どうしても知りたくて」
「なんだ、言ってみろ」
「あの…どうして、自分の損にしかならないのに、シュウちゃんに私が社長と契約していると話をしたんですか?」
「損にしかならない? ふん、あんたが勝手に決めるな。俺にとって損か得かなんて、あんたにどうやってわかるんだよ」
「でも、社長に楯突いたらクビになるかもしれないんですよ。明らかに損としか思えなくて」
「損じゃない。俺はあんたのおかげで生きるために重要なものに気が付かされた。汚い手を使って出世するより…遥かに重要なことだ」
山田課長のメガネの奥に見える瞳が、初めて穏やかに笑っているように見えていた。
「山田課長…」
掌を私の頭に伸ばして来た山田課長。
少しかがんで私と目線の位置を同じ高さにして、私の目を覗き込んだ。
「だから、あんたは他人の心配は、するな。自分の心配も十分にできないくせに欲張るのはよせ」
山田課長は、伸ばした手をひっこめると背筋を伸ばして回れ右をした。
「宮路、俺は、かなり貯金がある」
「はぁ」
急に貯金の話?
なんだろ?
訳がわからずに、私は山田課長の背中を見つめた。
すると、くるりと私の方へまた向いた山田課長。
「金は、回り回って自分の所に倍になって返ってくるもんだ。だから、親父さんの入院費とか首が回らなくなるほど大変になったら俺に言え。町の高利貸しよりは、低い金利で貸してやるからな」
「そ、そんなこと…課長に頼めませんよ」
私が断ったことが面白くなかったのか、山田課長は、ものすごく怖い顔をして私を睨んできた。
「どうして!」
「だって…」
凄まれて、完全に萎縮していた。
「俺は、あんたのほっぺたにキスをした。その詫びだとでも思え、さっきも言ったよな? あんたは自分の心配を、まず、しろ。今、しろ!」
しろしろ!と連発されて、ビビりまくりの私は弾かれたように返事をするしかなかった。
「は、はいっ! どうしてもの時は…ぜひ、お願いいたします」
「それでいい、じゃあな」
ものすごい勢いで凄まれた。
なんか、怖かったぁ。
いい人なんだか、悪い人なんだかわからない。
ん、なんかいいようにはぐらかされたんじゃないだろうか?
社長に楯突く行為をした意味を、きちんと聞けてない気がする。
山田課長が言ってた出世より重要なことって、一体何なのだろう。
ようやく私から遠ざかっていく山田課長の背中を見送りながらも私は、山田課長には心から感謝している。
山田課長のおかげで、私とシュウちゃんはお互いを失わずに済んだのだから。