Open Heart〜密やかに たおやかに〜
そんな私を一瞥しただけで、謝る訳でもなく無表情でメガネを外し、何処かから出したクロスでメガネを拭きながら山田課長は話し出した。
「あんたは、今日、いや、一年前から俺と付き合っていた」

「そ、それは、どういうことですか?」

「いちいち聞くな。社長が考えたシナリオだ。シナリオには忠実になれ」

「シナリオ……」

エンジンを始動させる山田課長。
「そう、芝居はもう始まってるんだ。あ〜それと呼び名だが、あんたは樹里、俺は武(たけし)」

メガネをかけ直し、山田課長が私を見た。
「一年前から、あんたは俺の女。俺の女になった気分は、どうだ?」
私の顎は、山田課長に人差し指で上げられてしまう。

山田課長の口角が上がった。だが、目は笑っていないように見え、背中がゾクッとするのを感じていた。

「怯えた顔は、よせ。付き合ってる相手を見る顔じゃない」

「でも……」

「口答えは不要だ。そうするしかないんだからな。あんたは王子を見るように俺を見ればいい」

シュウちゃんを見るように?
そんなの無理だし、嫌だ。できるわけがない。


だが、今の私には選択権が全く無い。シナリオは既に決まっているのだ。私はそのシナリオ通りに動かなければならない。

「…わかりました」

一度瞼を閉じて、雑念を追い出しシュウちゃんの優しい笑顔を思い出す。シュウちゃんの面影を追い、私は山田課長にシュウちゃんの顔を重ねた。

無理だ。
涙が出そう。
出来ない。シュウちゃんの代わりなんか誰にも出来ない。

やってはみたものの、全くうまく演技が出来ない。



「…ふん、強情だな」

山田課長から目をそらす。

我ながら、馬鹿みたいだ。
滑稽すぎて嫌になる。やれと言われてやろうとしただけなのに、本当に最低な気分だ。

「すぐに出来るようにしてもらうぞ。遊びじゃないんだ」
言い方も冷たい山田課長の手をはらいのけ、なるべく山田課長の顔を見ないようにして外を眺めた。

エンジンがかかり、車が発進する。

横を向いて窓から見える景色を見るでもなく眺めていた。


よりによって、苦手な山田課長が私と付き合っているというシナリオ設定には閉口してしまう。

それに、シナリオが本当だとすれば、私は一年前から二股をかけていたという事だ。

そんなことをシュウちゃんは、本気にするだろうか。仮に本気にしたとすると、私はシュウちゃんをすごく傷つけることになる。

今更だが、シュウちゃんは傷つけたくない。
悲しませたくない。

シュウちゃんを一生幸せにしたいって思ってたのに。私は、シュウちゃんに対してひどいことを始めようとしている。

俯き膝の上に置いた手を固く握りしめる。

シュウちゃん、ごめん……、最低な女でごめん。心の中で、謝る事しか出来ない。

泣きたい気持ちをなんとかこらえ、握りしめた拳を更に固くした。
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