Open Heart〜密やかに たおやかに〜
業務終了時間になり、バラバラとみんな帰り始めていた。
「今日も残業?」
マキに聞かれた。
そう言えば残業という隠れ蓑を使い、毎日のようにシュウちゃんと待ち合わせしていたことを思い出す。
今日は、シュウちゃんから何も言われていなかった。
私も今日は、普通じゃないが、シュウちゃんも今日は変な感じだ。
妙な雰囲気をシュウちゃんから感じるのは、気のせいだろうか。
「ううん。帰るよ」
椅子から立ち上がり、シュウちゃんを見る。まだ、デスクに座りパソコンに向かっているシュウちゃん。こちらを気にする様子は、まるでない。
「じゃあ、たまには食べに行こうよ」
「うん、いーね〜。あっ、ちょっと待って」
バッグの中に入れていたスマホが鳴り出したのだ。
スマホを取り出し、画面を見た。
ひび割れた画面に【山田課長】と表示してスマホは、震えている。
「は? 山田課長って出てるじゃん! マジ?」
勝手に私のスマホを覗き見たマキが声を上げた。
「ちょ、ちょっと…」
あまりにマキの声が大きかったため、周りにいた社員が私を注目している。無関心だったシュウちゃんまでもが手を止めて私を見ていた。
「ほら出なよ」
「……うん」
マキに促されて、そそくさと廊下に向かって歩きながら、スマホを耳に当てた。
「もしもし」
「あ、樹里?」
馴れ馴れしく私の名前を呼んでくる山田課長。
「樹里だって! やだ、名前で呼んでるの?!」
すぐ側に来ていたマキが声を上げる。
「え?」
まさか周りに山田課長の声が聞こえてる?
周りの社員が興味津々な顔つきで私を注目している。
え、どうして?
私は、何故みんなが私を注目しているのか、何故、山田課長が『樹里』と呼んだのがマキに聞こえたのかがわからなかった。
自然にスマホを握っていた手を下げて、唖然として周りを見回す。
ニヤついた顔や驚きの顔に混じって、ひときわ目立つ顔があった。
目を見開いて、少し青白い顔でシュウちゃんが私を見ている。
シュウちゃん……。
「もしもし、樹里、どうかしたのか?」
再び脇腹近くまで下げていた手の中にあるスマホから山田課長の心配そうな声がしてきた。
え、これ、スピーカーになってる?!
慌てて、ひび割れた画面を見ると、やはりスピーカーになっているようだ。急いで画面をタッチしてからシュウちゃんを見た。
すると、シュウちゃんはプイと向き直り、またパソコンを眺めてしまう。
え、シュウちゃん……どういうこと? 無関心なの?
シュウちゃんの席までは聞こえなかった?
私に関することを全然気にしてないみたいだ。
「ちょっと、樹里。どういうことよ」
山田課長が私を名前で親しげに呼ぶ意味を聞き出したいマキの気持ちはわかる。
それが、普通の態度だ。
だが、これだけざわついたフロアの中にいて、シュウちゃんだけ我関せずな雰囲気なのはどうしてだろう。
仮にスマホから聞こえた山田課長の声がシュウちゃんまで聞こえなかったとする。だが、伝言ゲームみたいに山田課長が私を名前で呼んでいたってことが広がったフロア内で、無視するみたいに仕事を続けているのはシュウちゃんだけだ。
どうして?
シュウちゃん、私が全然気にならないの?
「……ごめん、マキ。あ、明日話すから」
スマホを握りしめ、混乱した気持ちで廊下を走っていた。