Open Heart〜密やかに たおやかに〜
スマホを握りしめたまま階段へ走り、階段を駆け下りていく。
一気に一階までついて、はあはあと肩で息をした。
私には、やっぱり無理だ。
シュウちゃんに嘘をつくなんて出来そうにもない。シュウちゃんに嫌われたくない。どうしてもそう思ってしまう。
別れると決めたことなのに、不甲斐ない私は、もうひるんでいた。
シュウちゃんに話してしまいたい。山田課長との仲は誤解だって、絶対誤解しないでって伝えたい。
階段の手すりにつかまって、荒く息をする。
上下する私の肩は、誰かにがっしり掴まれてしまう。
「おい、樹里」
顔を向けると、そこには冷ややかな山田課長の顔があった。山田課長も少し息が上がっている。
「私……」
「簡単にもう出来ないとか言うなよ」
「でも」
社長と約束を交わした。でも、シュウちゃんには嘘をつきたくないし、嫌われたくない。
階段を誰かが下りてくる足音がする。
どんどん近づいてくる足音。
その間、私は山田課長を見上げていた。
どうすべきかわからない。
家族を救う為に、お金を選んだはずだ。
シュウちゃんとの別れは私が選んだはずだ。シュウちゃんと私は、もともと結ばれる運命では無かったのだ。
山田課長の冷えた目つきを見ているうちに、私の高ぶった感情も徐々に冷静になってきていた。
いつも願いは、ひとつだったはずだ。
シュウちゃんには、必ず幸せになってほしい。お金の為だけで選択した別れじゃない。
社長と話をしていて、今更気がついたのだ。シュウちゃんには、私みたいな町娘じゃなく、もっと相応しい相手がいるはずだと。
今まで、私は身分不相応な夢を見すぎていた。冷静に考えたら町娘が王子と結婚するなんて許されない話だ。王子と王女様との出会いを町娘ごときが邪魔をしてはいけない。
元から違う世界の人間なんだ。
だから、私はシュウちゃんを諦めお金の方を選んだのだ。
山田課長は、階段を下りてくる足音を気にしているようで、上をじっと見上げていた。
やがて、山田課長は無表情で私の手首を掴んだ。
壁側に追い込まれる私。山田課長と壁に挟まれた状態になり、私の両耳に冷たくて大きな手が覆うように触れた。
驚いていると私に山田課長の顔が被さるように近づいてくる。
えっ……
「樹里」
塞がれた耳に微かだがシュウちゃんの声が聞こえてきた気がした。
山田課長の唇が私の唇に触れる直前でフリーズする、メガネを通して山田課長の瞳を見た。鋭く、どこか威圧的にさえ感じる切れ長の瞳。
少しも動けずに山田課長の瞳を見続けるしか無かった。そうしなければ山田課長と唇が触れてしまいそうに思えたから。
2秒、いや…もう少し長かったと思う。
息苦しい空気の中で、私は山田課長の冷えた瞳を見続けた。
私の耳から山田課長の手が離れると足音が聞こえていた。
近づいてはいない。反対に遠ざかっていくように聞こえる。
今のは、シュウちゃんの足音だろうか?
だとしたら、シュウちゃんはどうしてここに?
私を追ってきたの? 私を心配してくれたの?
山田課長のことが聞きたくて来たのに、山田課長の腕の中にいてキスしてるような私を見たら、シュウちゃんはどう思うだろう。
苦しくて、息が…出来ない。
こんなに辛い思いをするくらいなら、いっそ死んだ方がマシだ。
私の中から込み上げてきて頰に流れる熱いもの。後から後から溢れ出て止められなかった。
私から離れ
「こんなことで泣くな。まだ、序盤だぞ」
冷たくさげすむような口調で言う山田課長は、私の目に歪んで見えていた。