Open Heart〜密やかに たおやかに〜
私とマキを乗せたエレベーターが一階下の階へ着き扉が開く。
見知った顔が、口角を上げてエレベーターに乗り込んできて「お疲れ様」と言いながら、私の前に立って背中を向けた。
隣にいたマキが、私の横腹を肘でつついてくる。
スマホから山田課長の声が漏れてしまったあの日、マキに山田課長との仲を詮索され実は付き合っていると答えていた。
横腹をガードしながら、マキを見るとニヤニヤしながら囁くような声で言われた。
『山田課長じゃん』
(わかってる)口パクで答えた。
私の前に立っていた山田課長が、後ろに手を伸ばしてきて、前に持ってきていた私の手に触れた。
驚いてびくっとし、引っ込みかけた手を山田課長の手が追いかけてきて掴まれてしまう。
握られた手を私だけでなく、隣にいたマキも同時に見ていた。
『うわっ、山田課長ってば噂通りの肉食だね〜。やるぅ』
私に耳打ちしてきたマキの言葉に、私はたまらなく恥ずかしくなっていた。
信じられない。人前で手なんか握るなんて。
嫌だけど、振り払えない状態のままエレベーターの中でひたすら我慢していた。
一階に着くと、エレベーターの中から一気に吐き出される人達。
手が握られたままでいた私は、必然的に山田課長の隣に引っ張られていた。
「あの……手」
「ん? 樹里、どうかした?」
手を離さない山田課長を見てマキが私に目配せしてきた。
マキってば、余計なこと考えてるみたい。
私の予想が当たり、マキはそそくさと私から距離を置いた。
「樹里、夕飯は、また今度ね」
「えっ、マキ。待ってよ」
「いいって、いいって。また、明日ね」
マキは私に手を振ったあと、山田課長に頭を下げる。
「マっ」マキを呼び止めようとした私の手を強く引っ張る山田課長。
「彼女は俺たちに気を利かせてくれたんだ。好意に甘えればいいだろ」
「でも……」
手は山田課長に握られたまま、私は山田課長を見上げた。メガネの奥に見える目は、密かに愉しんでいるように思えた。
「なにか食べに行こう。そうだな。焼肉なんかどうだ?」
「なんで、こんな時に焼き肉なんですか」
「これから恋人と甘い夜を過ごすんだ。それなりに精をつけないとな」
「精?」
思いもかけないような山田課長の言葉を聞いて、かなり驚き隣に立つ山田課長を見上げた。
「そんなに驚くことか?」
「……」
「肉じゃ嫌なのか? 何が食べたい?」
私の手を引き寄せ、顔を覗き込んでくる山田課長に面食らうばかりだ。
会社のロビーで、こんな風にしていたら噂になる一方に思えた。
周りの人たちの好奇に満ちた視線を感じる。
「外に出ましょう」
不敵な笑みを浮かべている山田課長の手を引っ張った。
外に出た山田課長は、わざとしていると思えるくらいに足が重く歩くスピードが遅い。
「課長、早く」
「急ぐ必要はない。むしろ、ゆっくり歩け」
これ以上遅く歩いたら、ますます山田課長の思惑通り、みんなの視線にさらされるばかりだ。
会社を気にして見ていると、 出入り口の自動ドアからシュウちゃんが出てくるのが見えた。
あっ、シュウちゃんだ。
手を引っ張っていた私の動きが止まる。
「おっ、ようやく王子のおでましか」
そう独り言みたいに言った山田課長は、急に大きな声を出した。
「樹里! そんなに引っ張るなよ。わかったわかった。焼肉だろ? そんなに俺に力つけさせて、どうしたいんだよ!」
「ちょっ!」
恥ずかしく感じるほどの山田課長の大きな声に近くにいた人たちが私と山田課長を足を止めて注目する。
その中にはシュウちゃんの姿もあった。
かあっと体の中に湧き上がる熱い思い。
唇を噛んで俯くしかなかった。
シュウちゃんには、シュウちゃんにだけは見ないでもらいたい。
そう思っていた。