Open Heart〜密やかに たおやかに〜
「結婚……するの?」
いきなり、そう口が動いていた。
「…それは、俺の質問だよ。本当に結婚するのか?山田課長と」
怒っている風でもなく、私を見つめるシュウちゃんの瞳は、いつもとは違う。
見たことが無いくらいに、寂しい色をしていた。
「……それは」
そんなに寂しい瞳をされたら、私は全てを話してしまいたくなる。
口ごもり俯いた私。
シュウちゃんは、今、私が何か語るのを待っているのだろうか、それとも……。
シュウちゃんは、迷い沈黙する私の手を柔らかく掴んで、自分の手から遠ざける。
冷たい風が私とシュウちゃんの間を通り抜けていく。
「……するよ、結婚」
「えっ」
顔を上げて、シュウちゃんを見上げた。
「正直、樹里以外の人と結婚するなんて思ってなかったよ、俺」
開きかけてはいても、口から言葉は出てこなかった。
昨日も見舞いに行った病院、未だに目を覚まさない父さんの姿を思い出して、私は完全に口を閉ざす。
力を入れて口を開けないように我慢した。瞬きもしないように瞼にも力を入れた。
心臓がバクバクと私の中で大きく音を鳴らし続けていた。
「寒いから、風邪ひかないようにな」
今度こそ、シュウちゃんは扉を開けてしまった。
目の前で、シュウちゃんが屋上から出ていき、扉は不快な音を響かせて重く閉ざされた。
全身から力が抜けて、私は閉ざされた扉に寄りかかった。
力が抜けた瞼は、瞬きを数回繰り返した。それだけで嘘みたいに涙が溢れてきた。
まるで洪水みたいに大量に。
シュウちゃん、こんなにぐちゃぐちゃの紙じゃぁ、紙飛行機が折れないよ。遠くに飛ばすことなんか無理だから。どうして、こんなことになったの。私は、どうすれば良かったの? これから、どうすればいいの?
へなへなと座り込んだ私は、ティッシュを取り出すつもりでコートのポケットに手を入れた。
缶コーヒー。
ポケットにいれた手に当たった缶コーヒーを取り出して眺めた。
「……くっ…くくっ」
きっと缶コーヒーを眺めて、泣き笑いをする女は私くらいのものだろう。
缶コーヒーは、好きじゃない。どうせならカフェオレを買う。なのに、私がビルの下にある自販機で何気なく買ってきたのは、缶コーヒーだった。
『このコーヒーは、濃くないから飲みやすい』
以前からシュウちゃんが愛飲している缶コーヒーだ。
下の自販機で買って、良く屋上で飲んでいたのを思い出す。
馬鹿みたいだ。
約束もしていない屋上。
逢えたとしてもロクに話も出来なくなった相手。
自分は飲まないくせに、買ってしまった缶コーヒー。
馬鹿みたい。
ぬるくなった缶コーヒーを両手で包んで握りこむ。震える指でプルトップを開けた。
おそるおそる口につけ、ひと口飲んでみる。
「まずっ……」
私の味覚には、合わないコーヒーの味を確認するようにして、また飲んでみた。
鼻水と涙が混ざって余計に不味くなる一方だった。
それでも、飲み続けた。
まるで、何かの儀式で飲むことが決めらている飲み物みたいに。
しゃくりあげながら、私は懸命にコーヒーを飲み続ける。
そうすることが、正しいみたいに。