Open Heart〜密やかに たおやかに〜
先輩社員に言われて、新規アパレルプライベートブランド事業の企画資料を届けるために、営業課へ向かう。
階段を使い、一階下のフロアへ行き営業課のフロアへ顔を出した。
すると、すぐに山田課長と目が合う。
それもそのはずで、営業一課には山田課長の他に人が誰もいなかった。
「入ってくれ。宮路さん」
「はい」
分厚いファイルを山田課長に手渡すと、山田課長はすぐに資料に目を通し始めた。
「……宮路さん、お昼は?」
ファイルから目を離さずに山田課長は話す。
「まだですが」
「では、丁度、時間だから一緒に来てくれ」
「いえ、私は」
「先約がなければ、断るな」
山田課長は視線を上げて私を見た。
「……課長命令ですか?」
「ああ」
「では……わかりました」
最近、特に山田課長と顔を合わせることだけで少し気まずくなる。それなのに、お昼を一緒に食べるなんて、考えただけで胃が痛くなりそうだった。
「社食で良いか?」
立ち上がり、山田課長は私の隣まで歩いてきた。
「…えっ社食ですか」
「どうした? 俺たちは、誰に見られても問題ないだろ?むしろ…」
山田課長は、私の耳元に顔を寄せる。
「俺たちは、もっと親しくするべきだ。そう思わないか?」
私にしか聞こえないくらいに小さな声で言われた。山田課長の言葉に鳥肌が立ちそうになる。
だが、今朝屋上で飲んだコーヒーの味を思い出して自分自身を奮い立たせた。
「それも命令ですか?」
山田課長のセクハラまがいの言葉には、動じたりしない。私は、もう今朝までの私とは違う。
今朝、屋上でシュウちゃんと話して、思い切り泣いて、今度こそ本当に決意したのだ。
シュウちゃんとは、別れる。
別れなければならない。もう、元には戻れないところまで来てしまった。
それならば、私が進むべき道は1つだ。
大切な人を守る。両親や妹、そして、シュウちゃん。
私はシュウちゃんの幸せを誰よりも願っている。愛しているから。愛している人の幸せを祈りたい。
そのために私が出来ることが少しでもあるなら、出来ることは努力してでもするべきだ。
だから、私は出来るだけ気丈な態度を見せ、すぐ近くにある山田課長の顔を無表情に見た。
山田課長のメガネの奥に見える瞳が、私の顔をジロジロと探るように見ていた。それから、大して面白くもないものを見たかのように鼻を鳴らした。
「…ふん、まあね。仕事でもなけりゃ、あんたなんかを昼飯に誘わないよ」
顔を離して、先に歩いていく山田課長。その背中を見てムカつく訳でもなく、なんだかホッとしていた。
山田課長は、ただ自分に正直な人なのだ。冷たいが己の欲を知り、その欲の為に動いている。山田課長は、私を誘いたくて誘っているのでは無いのだ。これは、山田課長の仕事の一部なのだから。
山田課長が私を振り返る。
「何をしてるんだ?早く来い。ったく、こんな鈍臭い女の相手は早く終わりにしたいもんだ」
ブツブツ言っている山田課長のところまで走り寄る。
私にしか出来ないことがある。それがシュウちゃんの為になるなら、シュウちゃんが幸せになれるなら、私は喜んでやりたい。
今、私は心の中でそう決めていた。