エースとprincess
部屋に入ったら入ったでシャワーを借りるだのなんだのと一悶着あって、結局は借りて、洗濯機を借りて、部屋着まで借りた。谷口主任のひとり暮らしの部屋は適度に散らかっていて生活の気配がした。そのことに私はとても安心した。モデルルームばりのきれいすぎる部屋だったら、なにかを傷つけたりうっかり動かしたりしてしまわないかと、部屋に通されてからの一挙手一投足に気が抜けないだろう。ずぶ濡れで廊下まであがりこむことさえ禁止かもしれないし、もしかしたらそういう家はごみも持ち帰らないといけないのかもしれない。
「なに飲む?」
「ロイヤルミルクティー。アイスで」
「ねえよ。女子か」
女子だもん。
「じゃあなんでも」
「ミント水は?」
「そっちのほうが女子じゃないですか」
谷口主任はコーラを持ってきた。待って、ミント水はどこいった?
ペットボトルからグラスに注ぎわけて片方を私にくれる。首にかけたタオルで髪を拭きながら私の横を離れ、壁際に腰をおろした。
黒のVネックのTシャツがよく似合っている。下はベージュのハーフパンツ。普段着になるとがっかりな仕上がりになるスーツサラリーマンではなかった。この人、スーツ姿との落差がほとんどない。
聞いていい? と前置きをしてから谷口主任は言った。
「なんで敬語なの。同期だよ俺たち」
きたか、と思った。いつ言われるだろうと思っていたけれど、とうとう言われた。谷口主任と私は一応同期入社なのだそうだ。申し訳ないことに記憶になかった。今夜の宴会がはじまって早々に職場の仲間に耳打ちされて知るとか、どれだけ失礼なんだ私は。
「主任のほうが年上だから? 役職者だから?」
もっともらしいことを言ってみたが、谷口主任は納得してくれなかった。
「入った時期が一緒なんだからそんなの気にしなくていいだろ。俺はふつうにしゃべってほしいんだけど。あと、その主任ってのもやめて」
「わかった。それならケースバイケースで。名前はなんて呼べばいい? 谷口さんかな」
「名前」
考える素振りをみせたあと、主任はそう言って、さらに言いそえた。
「名前がいい。下の名前」