傷痕~想い出に変わるまで~
その夜は結局、それ以上のことはしないで手を繋いで寄り添い合って眠った。


眠りに落ちる直前、薄れていく意識の遠くの方で誰かの声が聞こえた。


“…好きだ”


その人はそう言って私の唇に優しく触れるだけの短いキスをした。

優しいのに悲しくて切なくて胸が痛んだ。

涙がにじんでその人の顔は見えなかった。

夢の中で誰かの名前を呼んだような気がする。

その人にも、他の誰の耳にも聞こえないほど小さなかすれた声で。

その声は風にさらわれてかき消された。

私の涙と一緒に。




窓を叩く雨音で目が覚めた。

天気予報では今日は曇りだと言っていたのに、朝から本降りだ。

こんなに降っていたらどこにも行けないな。

今日は光と二人、この部屋の中で何をして過ごせばいいのか。

光はまだ眠っている。

先に起きて朝食の用意でもしていようかと思ったけれど、やっぱりもう少し横になっていることにした。

何気なく目元に手をやった。

ん…?なんだろう、まつ毛が引っ付いて目がシバシバする。

一度気になるとどうしても気になって、ベッドを出て洗面所で鏡を覗き込んだ。

これは…涙の跡?

夕べ光と喧嘩というかそんな感じになって泣いた時の涙?

顔を洗ってタオルで顔を拭いた。

いい歳してあんなわけのわからんことで泣くなんてホントにみっともないな。

もう少し私に余裕があれば、別れた後で光が誰と何をしていようが気にならないんだろうけど。

離婚した理由が理由だけに過敏になってしまうのかな。

これが別の人なら過去なんて気にならなかったのかも知れない。



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