むらさきひめ~死にたがりの貴方へ
しきせんぱい3
「それじゃあ」
分かれ道で、真姫先輩が声をかけてくる。
夕暮れの帰り道、いつもの別れの三叉路。あたし達五人はここでそれぞれ別れる。
「じゃあね」
あたしと和秋に振った手を、さりげなく真姫先輩の肩に回す卓也先輩。仲良く連れ立って踵を返す真姫先輩と卓也先輩。
小柄な少女と、背の高い少年はとてもお似合いだった。
そうして、後に続く翔子先輩に――
(あれ?)
ふと、あたしは違和感を覚えた。三人の背中を見て、胸がざわめいた。今日の放課後にも覚えたあの感覚に似ている気がした。
その正体を、考えていると、
「やれやれ、情けねえ」
なぜか、殊更大きく耳に届いた溜め息。
それが、あたしの思考を中断させた。
「未練たらしいたら、ありゃしねえぜ」
視線を向けると、あたしのすぐとなりで肩をしょげさせている和秋の姿。あたしの意識が、切り換わる。
「あはは、略奪愛にでも走ったら?」
あたしが冗談混じりにそう言うと、
「できたら、いーんだけどな」
和秋は苦笑する。
そんなことを言っても、本心ではないことはわかっている。
「ま、いーんじゃないの」
あたしは軽く言いながら、その背中をバンバンと叩く。
「想ってるだけなら、自由だし。気の済むまで片思い続けてればいいじゃないですか」
「ちぇっ、気楽に言ってくれるよ」
そう言って、また苦笑する。けれど、今度は満更でもなさそうだった。
「けど、そう言ってくれると開き直れるな」
そして、にっこりと笑う。
「さんきゅーな」
その笑顔に高鳴る心を隠して、
「あはは、まー感謝しなさいよね」
心の痛みを押し殺して、あたしはからからと笑った。
真姫先輩が、和秋の想いを知らないように。
和秋も、またあたしの想いを知らない。
言ってないから。
伝えていないから。
ずっと、隠しているから。
だって、今更。
『俺は、ただの後輩だし……突然そんなことを言われても、先輩困るだろ? きちんとした彼氏だっているんだし……』
だったら、きっと。
気安く付き合ってきた幼馴染みに、突然に恋心を打ち明けられたって戸惑うだけだ。
(……そうでしょう? 和秋)
だから、あたしもきっと。ずっと、自分の気持ちを隠し続ける。隠して、殺して、演技を続けてみせる。
ずっと、ずっと。気安い、ただの幼馴染み。与えられた役を、演じ続ける。ずっと姉弟みたいに育ってきた、恋愛感情の埒外の相手として――
(それは、先輩がいなくなってもずっと)
「……え?」
ふと、そんなことを考える自分にはっとする。
「どうしたんだ? あゆか」
「……え、ううん。何でもないよ」
眉をひそめる和秋に頭を振りながら、考える。
なんで、どうして。
自分は、先輩がいなくなるなんてそんなことを考えたんだろう。
それは、当たり前だ。いつかは学校を卒業して、あたしや和秋の前からいなくなる。それは、当然の未来で決定事項だけど。
何かが、違う。
たった今あたしの頭によぎった考えは、何かが違う気がした。決定的に、絶対的に。
何かが、違う?
それは、嫌な予感めいて。
それが、不吉な予言めいて。
「…………」
気が付くと、あたしは携帯電話を取り出していた。
そうして、自分でも理由がわからないまま、内容を確認する。通話履歴、着信履歴……それから、何よりもメールの送受信の履歴を。
「あゆか?」
突然にそんなことを始めるあたしに、不思議そうに声をかけてくる。
「え?」
はっとしたように向き直るあたしを見て、和秋の顔色が変わった。
「あゆか、おまえ顔色悪いぞ?」
あたしを心配するように、声の調子も変わる。
「え? あはは……へーき、へーき」
「そんなわけねえだろう」
笑って誤魔化そうとしたけれども、今度は通じなかった。和秋は少し強い調子で言ってから、
あたしの前に背中を向けてしゃがみこんだ。
戸惑うあたしに、
「おぶってってやるよ」
「え? い、いいよ」
「無理すんなよ。すげー具合悪そうだぞ?」
「そ、そう? でも……誰かに見られたら恥ずかしいですよ」
「いいから、早くしろよ!」
更に強い声で言われて、あたしは思わず肩を震わせた。
「……そ、それじゃあ」
こわごわと、その背中に身体を預ける。ずっと細くて頼りないと思っていた背中は、予想を裏切って頼もしかった。
「じゃ、行くぜ」
あたしを背負って立ち上がる和秋。あたしひとりくらい、軽々と。
茜色に染まる世界で――
ためらいがちに、問いかける。
「お、重くない?」
「つーか、軽い。俺だって男だ。女の子のひとりくらい背負えるぜ」
歩き出す足元も、しっかりとしていた。
ばくばく脈打つ心臓の音。その鼓動が、和秋に届かないか気が気でなかった。けれど、それは杞憂に終わるみたいだった。
それにしても、
(……女の子、か)
卑怯だよ。
ほんの少し、目頭が熱くなる。少し……だけ。本当に、少しだけだったけれど。
あたしの望むような意味ではそう言ってはくれないのに、こういう時はしっかりと女の子扱いをするんだ。
その優しさがとても嬉しくて。どうしようもなく、嬉しくて。
だけど、とても哀しくて。どうしようもなく、切なくて。
そのふたつの気持ちで、胸が締め付けられるから。
頭の中もいっぱいになってしまったから。
だから、もう忘れている。
先ほど感じた違和感も、頭によぎったざわめきも。何かがずれている、そんな感覚も、
――あたしは、忘れていたのです。