むらさきひめ~死にたがりの貴方へ
しきメール3
向かった場所は、公園。
周りは、閑静な住宅街。車の行きかう表通りから、少し外れた場所にそこはあった。
決して新しくなく、遊具の塗装なんかは剥がれているのも多いけれど、僕はここが結構好きだった。
なんとなく、味わいがある。きっと日本人の好むわびさびという奴だ。……多分。
手近な自動販売機で缶コーヒーを買って、僕はベンチに座る。
古臭い木のベンチは、少し湿っぽかった気がするけれど、気にしない。
遠目に、散歩している男の人の姿が見えた。視界の端の砂場では、小さな子供が何人かで遊んでいた。
なんとも、のどかな光景だった。
「ふう~」
思い切り、背伸びをする。胸いっぱいに息を吸い込む。
こんなのんびりするのは、本当にひさしぶりな気がした。
学校でも、自宅でも、僕の心は安らがない。
受験が終わるまでの一ヶ月。
それまでこんな日々が続くかと思うと、暗澹たる気分になる。
いや、そもそも。
(その先だって、わからないよな……)
合格したとしても、別にそれほど志望する学校じゃない。それに、それは仲のよかった友人を蹴落としてしまうことを意味する。
(そう思う僕は、甘いのかな……)
かつての友人の、嫌味と皮肉が脳裏によぎった。
だからって不合格でも、それはそれで何が解決するわけでもない。
城阪には勝ち誇られるだろうし、勝手に期待している母さんや先生に何て言われるか。
「……はあ」
色々と考えていたら、また気が沈んできた。あーあ、これじゃあ、気晴らしにならないじゃないか。
そう思った瞬間。
「え? わっ!」
急に、目の前が真っ暗になった。
「だーれだ?」
続いて、聞き覚えのある声が耳に届く。
「いきなり、何するんだよ!」
僕は振り返って、文句を言う。
「あはは、ごめんごめん」
後ろに立っていたクラスメートの少女が、悪びれた風もなくけらけらと笑っていた。
「いやー、何かこー君、ぼうーっとしてたからさあ」
更に文句を言おうとして、僕は言葉を失ってしまった。
いつも見慣れた学生服ではなく、可愛らしい私服姿の水無瀬さん。薄水色のパーカーに、紺のプリーツスカート。
その姿に、少しだけ見惚れてしまったからだ。
やっつけジャンパーな、自分の私服に少し恥ずかしくなった。
「……ん?」
呆然とする僕を、きょとんと見返してくる。
やがてその顔が、にや~っと笑う。
「なあに? もしかして、あたしのかっこに見惚れてたりするの?」
「あ……べ、別に」
声が上ずっているのが自分でもわかる。
多分、顔も赤くなっているんじゃないだろうか。
今更ながらに、まじまじと見つめてしまった水無瀬さんの可愛い顔とか、僕の顔を触った細い指先とか、そういったものが、思い出されてくる。
(あ~っ、落ち着け! 落ち着くんだ僕!)
なんていうか、これじゃあムチャクチャかっこ悪い。
「こー君?」
「うえっ!」
すぐ真横から声が聞こえて、僕は思わず飛び退った。
何時の間にか回り込んでいた水無瀬さんが、ベンチに座っていたのだ。
「んー、何かそういう態度傷つくんですけど」
不満そうな顔をする水無瀬さん。
「こー君、あたしのこと嫌いなの」
「……い、いや、そんなことはないけど」
むしろ、その逆ですけど。
あまり女の子に免疫のない僕は、こうやってあけっぴろげに接してこられると、どう反応すればいいか困ってしまうんだ。……我ながら、情けない。
「ふーん」
水無瀬さんは、僕を冷ややかに見つめてから、『まあ、いっか』と肩をすくめた。
「でもさ、珍しいね。こー君が、休日に公園でぼーっとしてるなんてさ」
「……まあね」
僕は、何となく水無瀬さんと並んで座るのも気が引けたので。立ったまま、頬をかく
「たまには、気分転換しようかなと思ってさ……」
まあ、その意図に反して。あまり、気分転換にもなっていないのだろうけど。
「ふうん」
今度は、さっきとは違った意味ありげな視線で僕をまじまじと見てくる。
「……な、何?」
そういったことに慣れていない僕は、またうろたえる。
「じゃあ、気分転換付き合ったげようか」
と、財布を取り出す水無瀬さん。
「これ」
財布の中から、折りたたまれた紙片を手に取った。それを、僕に見せてくる。
「それは?」
どこかの喫茶店のサービス券みたいだった。いったい、それがどうしたと言うのだろうか?
僕の疑問が伝わったのか、水無瀬さんは眉をひそめた。
「鈍いねえ。こー君は。一緒にお茶でもしませんか、って言ってるの」
「……え? えーっ!」
一瞬遅れて、彼女の言葉の意味を理解した僕は大声を上げていた。
「ちょっと、声大きいよ」
しーっ、と自分の口元に人差し指を立てて、水無瀬さんは周囲を気にした。
とりあえず、それほど注目を集めたわけではないと知って、安心したようだ。
「で、どうなの?」
僕に視線を戻して、尋ねてくる。
つまり、それは……そういうことなのだろうか。
少し顔をしかめて、上目使いに僕を見上げてくる水無瀬さん。ちょっとだけ、その頬に赤味が差しているのは……気のせいじゃないのだろうか。
僕の、勝手な自惚れじゃないのだろうか。
「こー君、あたしのお誘い受けてくれるの?」
もちろん、断るわけがなかった。
◇
その日、僕は生まれて初めて女の子とデートをした。
いや……ちょっと喫茶店で二時間ほど話をしただけだけどね。
それでも、僕にとっては充分過ぎた。
通学路で、あるいは学校で話すのとは全然違う。
喫茶店と言うのも初めてだった。
時々横目に通り過ぎるくらい。何だか、今は逆に外を通り過ぎていく人影が、無性に気になった。どうせなら、奥の席の方が落ち着いたかもしれない。
出されたコーヒーは、さっき飲んだ缶コーヒーの三倍以上の価格。無駄に……いや、価格の分、高く見えた。
味は、よくわからなかった。
笑顔で水無瀬さんが進めてくる、何かおしゃれな感じのケーキも、きっちりと味わえなかった。もったいなかった。
胸がどきどきして、舞い上がってしまい、話した内容の半分も頭に残っていなかった。
それでも、帰り際。
『じゃあ、今度はこー君から誘ってね』
受験終わってからでいいから。そう、付け加えて、言葉を残していってくれたのだから、それほどポカしなかったのだと思う。
いやいや、それどころか……。
(いい感じじゃないか)
少なからず好意を持っていた女の子からデートに誘われて、遠回しにだけど次の約束も交わしたんだ。
さっきまでの憂鬱は、まだ完全ではないけれど、大分なくなっていた。
(よし、もう少しなんだ!)
まだ割り切れない気持ちもあるけれど、自分のできる範囲で勉強を頑張ろう。
そう、思えるくらいにはなっていたから。
腕時計に目を落とす。
時間は、三時を過ぎていた。
まだまだ明るい。
空を見上げると、青空の快晴はまだ継続中だった。
気が付くと、小走りになっている。
道脇の鏡に映り、すれ違った僕の横顔は、何だか元気だった。
(……少し、遅くなったかな)
もしかしたら、母さんが怒っているかもしれない。
そんな不安もあったけれど、それでもいい気分転換になったんだ。母さんも許してくれるさ。
そうだ、遅くなった時間以上に頑張ればいい。
そう、思っていた。
けれど、甘かった。
「どこに行ってたの?」
玄関前で待ち構えていた母さんは、僕の予想以上に怒っていた。
「……その、ちょっと友達と」
剣幕に圧されて、そう口走ってしまったのが、更に火に油を注いでしまったらしい。
「耕介! あなた、今がどれだけ大切な時期かわかっているの!? そんなことだから、成績が伸びないのよ! 城阪君を、見なさい! あなたは恥ずかしくないの!」
僕の言葉なんて、聞く耳持たない。
僕の気持ちなんて、考えてくれない。
「……ごめんなさい」
そんな不満も、やっぱり押し殺して僕は謝った。
一方的にがなりたてる母さんの言葉を、視線を落として、ただ一方的に受け止める。
その間、玄関隅に片付けられた古い靴を眺めていた。
「さあ! 今からすぐに勉強するの! 晩御飯まで、その後もみっちりとね!」
「……うん、わかったよ」
そうして。
『本当に?』
『本当です』
『本当の、本当に?』
その夜。
机に向かって、閉じたままの参考書に肘を置きながら。
――僕は、三度目のメールをした。
周りは、閑静な住宅街。車の行きかう表通りから、少し外れた場所にそこはあった。
決して新しくなく、遊具の塗装なんかは剥がれているのも多いけれど、僕はここが結構好きだった。
なんとなく、味わいがある。きっと日本人の好むわびさびという奴だ。……多分。
手近な自動販売機で缶コーヒーを買って、僕はベンチに座る。
古臭い木のベンチは、少し湿っぽかった気がするけれど、気にしない。
遠目に、散歩している男の人の姿が見えた。視界の端の砂場では、小さな子供が何人かで遊んでいた。
なんとも、のどかな光景だった。
「ふう~」
思い切り、背伸びをする。胸いっぱいに息を吸い込む。
こんなのんびりするのは、本当にひさしぶりな気がした。
学校でも、自宅でも、僕の心は安らがない。
受験が終わるまでの一ヶ月。
それまでこんな日々が続くかと思うと、暗澹たる気分になる。
いや、そもそも。
(その先だって、わからないよな……)
合格したとしても、別にそれほど志望する学校じゃない。それに、それは仲のよかった友人を蹴落としてしまうことを意味する。
(そう思う僕は、甘いのかな……)
かつての友人の、嫌味と皮肉が脳裏によぎった。
だからって不合格でも、それはそれで何が解決するわけでもない。
城阪には勝ち誇られるだろうし、勝手に期待している母さんや先生に何て言われるか。
「……はあ」
色々と考えていたら、また気が沈んできた。あーあ、これじゃあ、気晴らしにならないじゃないか。
そう思った瞬間。
「え? わっ!」
急に、目の前が真っ暗になった。
「だーれだ?」
続いて、聞き覚えのある声が耳に届く。
「いきなり、何するんだよ!」
僕は振り返って、文句を言う。
「あはは、ごめんごめん」
後ろに立っていたクラスメートの少女が、悪びれた風もなくけらけらと笑っていた。
「いやー、何かこー君、ぼうーっとしてたからさあ」
更に文句を言おうとして、僕は言葉を失ってしまった。
いつも見慣れた学生服ではなく、可愛らしい私服姿の水無瀬さん。薄水色のパーカーに、紺のプリーツスカート。
その姿に、少しだけ見惚れてしまったからだ。
やっつけジャンパーな、自分の私服に少し恥ずかしくなった。
「……ん?」
呆然とする僕を、きょとんと見返してくる。
やがてその顔が、にや~っと笑う。
「なあに? もしかして、あたしのかっこに見惚れてたりするの?」
「あ……べ、別に」
声が上ずっているのが自分でもわかる。
多分、顔も赤くなっているんじゃないだろうか。
今更ながらに、まじまじと見つめてしまった水無瀬さんの可愛い顔とか、僕の顔を触った細い指先とか、そういったものが、思い出されてくる。
(あ~っ、落ち着け! 落ち着くんだ僕!)
なんていうか、これじゃあムチャクチャかっこ悪い。
「こー君?」
「うえっ!」
すぐ真横から声が聞こえて、僕は思わず飛び退った。
何時の間にか回り込んでいた水無瀬さんが、ベンチに座っていたのだ。
「んー、何かそういう態度傷つくんですけど」
不満そうな顔をする水無瀬さん。
「こー君、あたしのこと嫌いなの」
「……い、いや、そんなことはないけど」
むしろ、その逆ですけど。
あまり女の子に免疫のない僕は、こうやってあけっぴろげに接してこられると、どう反応すればいいか困ってしまうんだ。……我ながら、情けない。
「ふーん」
水無瀬さんは、僕を冷ややかに見つめてから、『まあ、いっか』と肩をすくめた。
「でもさ、珍しいね。こー君が、休日に公園でぼーっとしてるなんてさ」
「……まあね」
僕は、何となく水無瀬さんと並んで座るのも気が引けたので。立ったまま、頬をかく
「たまには、気分転換しようかなと思ってさ……」
まあ、その意図に反して。あまり、気分転換にもなっていないのだろうけど。
「ふうん」
今度は、さっきとは違った意味ありげな視線で僕をまじまじと見てくる。
「……な、何?」
そういったことに慣れていない僕は、またうろたえる。
「じゃあ、気分転換付き合ったげようか」
と、財布を取り出す水無瀬さん。
「これ」
財布の中から、折りたたまれた紙片を手に取った。それを、僕に見せてくる。
「それは?」
どこかの喫茶店のサービス券みたいだった。いったい、それがどうしたと言うのだろうか?
僕の疑問が伝わったのか、水無瀬さんは眉をひそめた。
「鈍いねえ。こー君は。一緒にお茶でもしませんか、って言ってるの」
「……え? えーっ!」
一瞬遅れて、彼女の言葉の意味を理解した僕は大声を上げていた。
「ちょっと、声大きいよ」
しーっ、と自分の口元に人差し指を立てて、水無瀬さんは周囲を気にした。
とりあえず、それほど注目を集めたわけではないと知って、安心したようだ。
「で、どうなの?」
僕に視線を戻して、尋ねてくる。
つまり、それは……そういうことなのだろうか。
少し顔をしかめて、上目使いに僕を見上げてくる水無瀬さん。ちょっとだけ、その頬に赤味が差しているのは……気のせいじゃないのだろうか。
僕の、勝手な自惚れじゃないのだろうか。
「こー君、あたしのお誘い受けてくれるの?」
もちろん、断るわけがなかった。
◇
その日、僕は生まれて初めて女の子とデートをした。
いや……ちょっと喫茶店で二時間ほど話をしただけだけどね。
それでも、僕にとっては充分過ぎた。
通学路で、あるいは学校で話すのとは全然違う。
喫茶店と言うのも初めてだった。
時々横目に通り過ぎるくらい。何だか、今は逆に外を通り過ぎていく人影が、無性に気になった。どうせなら、奥の席の方が落ち着いたかもしれない。
出されたコーヒーは、さっき飲んだ缶コーヒーの三倍以上の価格。無駄に……いや、価格の分、高く見えた。
味は、よくわからなかった。
笑顔で水無瀬さんが進めてくる、何かおしゃれな感じのケーキも、きっちりと味わえなかった。もったいなかった。
胸がどきどきして、舞い上がってしまい、話した内容の半分も頭に残っていなかった。
それでも、帰り際。
『じゃあ、今度はこー君から誘ってね』
受験終わってからでいいから。そう、付け加えて、言葉を残していってくれたのだから、それほどポカしなかったのだと思う。
いやいや、それどころか……。
(いい感じじゃないか)
少なからず好意を持っていた女の子からデートに誘われて、遠回しにだけど次の約束も交わしたんだ。
さっきまでの憂鬱は、まだ完全ではないけれど、大分なくなっていた。
(よし、もう少しなんだ!)
まだ割り切れない気持ちもあるけれど、自分のできる範囲で勉強を頑張ろう。
そう、思えるくらいにはなっていたから。
腕時計に目を落とす。
時間は、三時を過ぎていた。
まだまだ明るい。
空を見上げると、青空の快晴はまだ継続中だった。
気が付くと、小走りになっている。
道脇の鏡に映り、すれ違った僕の横顔は、何だか元気だった。
(……少し、遅くなったかな)
もしかしたら、母さんが怒っているかもしれない。
そんな不安もあったけれど、それでもいい気分転換になったんだ。母さんも許してくれるさ。
そうだ、遅くなった時間以上に頑張ればいい。
そう、思っていた。
けれど、甘かった。
「どこに行ってたの?」
玄関前で待ち構えていた母さんは、僕の予想以上に怒っていた。
「……その、ちょっと友達と」
剣幕に圧されて、そう口走ってしまったのが、更に火に油を注いでしまったらしい。
「耕介! あなた、今がどれだけ大切な時期かわかっているの!? そんなことだから、成績が伸びないのよ! 城阪君を、見なさい! あなたは恥ずかしくないの!」
僕の言葉なんて、聞く耳持たない。
僕の気持ちなんて、考えてくれない。
「……ごめんなさい」
そんな不満も、やっぱり押し殺して僕は謝った。
一方的にがなりたてる母さんの言葉を、視線を落として、ただ一方的に受け止める。
その間、玄関隅に片付けられた古い靴を眺めていた。
「さあ! 今からすぐに勉強するの! 晩御飯まで、その後もみっちりとね!」
「……うん、わかったよ」
そうして。
『本当に?』
『本当です』
『本当の、本当に?』
その夜。
机に向かって、閉じたままの参考書に肘を置きながら。
――僕は、三度目のメールをした。