鬼上司は秘密の恋人!?
 
石月さんの視線がこちらに移った。
私の方を見て軽く首を傾げる。
黒い前髪の間から、綺麗な目がこちらをじっと見る。

「俺が寮のある高校に入学するタイミングで、母は本格的に仕事に力を入れて、職場に近いマンションに引っ越した。俺が就職するまでしばらくこの家は空き家にしていたんだけど、今の編集部に近くて便利だからって理由だけで俺はひとりでここに住み始めた」

私が黙って頷くと、石月さんは薄く笑った。
職場では決して見せない、柔らかい笑み。

「記憶の中でもずっと、この家に帰ってきて、明かりがついていたことなんてほとんどない。俺の帰りを誰かが待っていてくれたことも、俺のために作られた料理が並んでいたことも。だから、こういうとき俺は、どんなリアクションをすればいいのかわからない。いつも家に帰ってきた俺を出迎えに、笑顔で玄関にかけてくるお前らを見て、どうしていいのかわからなくなる」
「私たちは、迷惑ですか……?」

恐る恐るたずねると、「バカだな」と小さく笑われた。

「そうじゃないから、困ってる」
「そうじゃないって、どういう意味ですか?」
「なんでもかんでも聞くな。鬱陶しい」

石月さんはそう言いながら、体を起こしこちらに一歩踏み出す。

「鬱陶しいって、ひどいです」

ちらりと睨むと石月さんは笑った。
笑いながらゆっくりとこちらに近づいてくる。

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