二階堂桜子の美学
第十話 ポイントカード
名前を確認した瞬間、心臓の鼓動が大きく波打ち、桜子の中でこの事実をどう処理すべきか判断できず悩む。
(真田瑛太って、あの瑛太君? 帽子被ってたししっかり見てなかったから気付けなかった。いや、仮にしっかり見てても五年ぶりでは変わりすぎて分からなかったのかも。問題は二つ。彼が本当にあの瑛太君であるかの確認。そして、この事実を惚れている椿さんに話すべきかどうかという点……)
ドキドキしながらポイントカードを眺めつつ考えを巡らせていると、隣に座る椿が話し掛けてくる。
「桜子さん、どうかしましたか?」
「えっ、ええ、このお店、わりと早く閉めるのね。午後六時閉店だなんて」
「営業時間見てたんですね。ええ、メインが女子高生とかその辺りだから早いんだと思います」
「なるほど、確かにお客さんの層を考えたらそうなるわね。業務のすべてを一人でまかなっているみたいだし」
答えつつもさりげなくポイントカードをポケットにしまう。
「そうなんですよ。真田さん、すっごい頑張り屋さんなんですよ。東京に一人で出てきて学校行きながらマカロン屋さんの経営までしてるんですから」
「経営ってことは、あれは自分のお店なの?」
「そうですよ。銀行に融資してもらって開業したって言ってました」
「椿さん、詳しいわね。もしかして、もう付き合ってたりしてるんじゃない?」
「まさか、残念ながら、真田さん、ご結婚されてますよ」
「えっ!」
椿から出た衝撃的な単語に桜子は声を大きくして驚く。椿はもちろん、美和と早百合も桜子の声に振り向く。
「さ、桜子さん?」
「あ、ごめんなさい。同年代くらいに見えたから、そんなに早く結婚するものなんだって、ちょっとびっくりした」
「若く見えますけど、真田さん今年で二十二歳って言ってましたよ」
「そう、でもそれじゃ椿さんの恋は実らないわね」
「そうですよね。まあでも、彼、身分低そうだし、単なる目の保養的な存在でしかありませんよ。付き合うなら最低でも上級国家公務員か資産家の人ですね」
当たり前のように語る椿の身分論に美和と早百合も頷く。
(確かに彼は上流階級の出身ではない。私自身、彼が瑛太君でなければ歯牙にもかけない相手。でも、彼のことを悪く言われるといい気分ではないのはやっぱり……)
「桜子さんもそうでしょ?」
椿の問い掛けを受けて桜子は回答に困る。
(本音はそうだけど、今回ばかりは違う。かと言ってこの私が階級に確立された美に背くような発言もできない)
「私は国家公務員レベルはパスね。最低でも百年以上続く名家で資産も相応に。私にはそれくらいの価値があると思ってるわ」
桜子から発せられた自信たっぷりの言葉に三人は目を丸くするが、その言葉が過大でないことも器量から理解しており笑顔になる。
「さすがは桜子さん。行く行くは皇族入りやどこかの王妃となられてもおかしくない。私たちは桜子さんと学友となれて鼻が高いです」
椿は心底そう思っているようで尊敬の眼差しで桜子を見つめる。桜子も応えるかのように笑顔で見つめ返していた。
帰宅後、社交ダンスのレッスンを終え、早めの夕食を済ませると瑛太の件を考える。今日だけでいろいろなことが起こり過ぎて、冷静に考え処理する必要があった。
(一番無難な対策は、このポイントカードは見なかったことにし今後二度と店に行かない。これならば今までと変わらない日常に戻れる。でも……)
考えれば考えるほど五年前の瑛太との思い出が鮮明に蘇えり心が熱くなっていく。
(今でも私には瑛太君を想う気持ちがある。既に結婚しているとしても、この想いは生涯変わることがない。叶わない恋だとしてもこの気持ちだけはずっと大事にしたい)
ポイントカードの文字を眺めていると、封じ込めていた想いがどんどん溢れてくる。
(ダメだ、いくら考えてみても前には進まない。でも二人で会っているところを見られるのはリスクがある。やっぱりこの電話番号に直接かけて話をするのが一番か。私に直接渡すくらいだから、瑛太君も私のことを忘れていないはず)
携帯電話を取ると桜子は覚悟を決め記載されている番号をプッシュした。