二階堂桜子の美学
第十一話 スイッチオフ
緊張した面持ちでコール音を聞いていると、数秒後通話状態になり桜子から挨拶を切り出す。
「もしもし、二階堂です」
「もしもし、真田です。電話ありがとう、掛けてくれるとは思わなかった」
店頭でも聞いた声だが、こうして改めて聞くと恋心からか体温が上昇する。
「お話しの前にまず教えて頂きたいのですが、真田さんは幼少時代に長野県に在住しておりませんでしたか?」
「住んでましたよ。桜子お嬢様の事を忘れたことはありません」
(やっぱり、あの瑛太君だった! 嬉しい、私のこと忘れてなかったんだ)
「お久しぶりですね。五年ぶりかしら?」
「そうですね。僕も名乗られるまで桜子お嬢様とは気が付けませんでしたからね」
(桜子お嬢様、か。昔と違って丁寧な言葉遣いで呼び方も変わった。少しだけ距離感を覚えてしまう……)
戸惑いを感じながらも桜子は話し掛ける。
「ご結婚されていると聞きました。遅ればせながらおめでとうございます」
「椿ちゃんから聞いたんですね。う~ん……」
電話口から唸る瑛太に疑問を感じる。
「真田さん?」
「すいません。桜子お嬢様には嘘を吐きたくないので本当のことをいいます。実は結婚なんてしてないんです」
(えっ、結婚してないですって!?)
「どういう事ですか?」
「十八歳の若造が店を経営してると知られると、いろいろ面倒なんですよ。だから年齢も経歴もサバ読んで言ってます」
(なるほど、若すぎると法的な問題にも引っかかるし、甘く見られる可能性もあるってことか。でもかなり際どいことしてるわ)
「私も最初二十二歳と聞いて驚いた。記憶が確かなら同級生だったと思ってたから」
「すいません、混乱させちゃいましたね」
「いいえ、こうして久しぶりにお話しすることができて嬉しいわ」
「えっ?」
瑛太はそう言ったきり黙ってしまう。
(どうしたんだろ? 私、おかしな事言ったかしら?)
「真田さん、どうかなさいました?」
「いや、僕は話せて嬉しいけど、桜子お嬢様は違うだろうって思ってたから意外だなって」
(意外? なんでそんなことを思うのだろう)
「五年前、綾乃お嬢様が言ってたでしょ。身分の違う真田家とは付き合うな利用しろって。あの話を立ち聞きしてしまって、それ以降桜子お嬢様も僕を避けるようになったでしょ? だから嫌われているって思ってたんだ。だから、話せて嬉しいなんて言葉が出て困惑してる」
(そういうことか、確かにあれ以降私は綾乃の言う通り生きてきたし、そんな振る舞いをしてきた。でも、瑛太君だけは違う。本当は瑛太君と一緒に遊びたかったしたくさん話したかった。綾乃の視線が怖くて何もできなっかっただけ。けど今は違う。すべての言動を自分で決めて行ける。結婚してないというのなら瑛太君と付き合うことだって。けれどそれはすなわち、私の築いてきたキャリアすべてを否定することにも……)
「嬉しいと言ったのは懐かしさからの社交辞令です。今後も真田さんとは交流を持つつもりはありませんので、椿さん達に私のとの関係はご内密にお願いします」
「……わかりました。では、もうお店にも来られないんですよね?」
「ええ」
「そうですか」
互いに沈黙が流れ、しばらくして瑛太が切り出す。
「マカロン、お口に合いました?」
「ええ、美味しかったわ」
「よかった。それを聞けただけでも連絡先を渡した甲斐がある。桜子お嬢様とのことは他言しないので安心して下さい。では、夜も遅いのでこれで失礼します」
(もう瑛太君とは話せない……、あっ! そういえば)
「ちょっと待って。最後に一つ聞かせて欲しい。久子さんや隼人さんはお元気?」
「母は元気ですよ。今でも長野に住んでます。兄は、今でも行方不明です。奥さんとも離婚してたようですし、音信不通でよくわからないんです。まあ、あの兄のことですから、きっとどこかで生きてますよ」
(隼人さん行方不明だったんだ。そうなると綾乃と完全に切れてるのかも不透明。ただ、確証はないものの離婚の原因はまず綾乃のせいだ。あの女が絡んで良かった試しがない)
「そう、元気なら良かったわ」
「久しぶりに会いましたけど、桜子お嬢様も元気そうで良かったです。これからもどうかお元気で」
「真田さんもね」
「はい、では失礼します」
通話が切れると同時に桜子の胸中には寂しさがこだまする。
(結局意地を張って何も言えなかった。想いの欠片すら伝わっていないだろう。仕方ないけど、これが二階堂家に生まれた運命ならそれに従うしかない。ごめんなさい、瑛太君)
携帯電話の電源を切ると同時に、桜子は自身の心にある想いのスイッチもオフにする。そして、おもむろにベッドから立ち上がり机に置かれたポイントカードを手に取ると、何の感情も持たずゴミ箱へと破り捨てていた。