二階堂桜子の美学
第十四話 玉の輿
「桜子さん! 大変なことがわかりましたよ!」
翌朝、登校し教室に入るなり美和が顔を近づける。
「ど、どうしたの美和さん?」
「ちょっと聞いて下さい。実は龍英君のことなんですが、彼、上杉財閥の御曹司らしいですよ?」
(上杉財閥、確か大臣経験者も輩出している名家ね)
「そう、それがどうかしたの?」
「どうもこうも、最高の相手だと思いませんか?」
「恋人に、ってこと?」
「はい、行く行くは結婚を考えても良い相手だと」
「まあそうね。悪くない相手よね」
「そこで桜子さんに確認です」
「はい」
「実は龍英君を狙ってたり、実は顔見知りで許婚、なんてことありませんよね?」
真剣な目つきの美和に少々引くも、桜子は当然の論で返す。
「ないわね。私とは釣り合わない」
「その言葉、信じていいんですよね?」
「ええ」
「安心しました。では私と早百合は龍英君争奪戦に参加します。桜子さんが参加されるのでしたら諦めていましたが、参戦しないのなら心置きなく戦えます」
喜び勇む美和を見て桜子は苦笑する。
「争奪戦って、本気言ってるの?」
「ええ、ただのイケメン君と思っていましたけど、上杉家御曹司となれば玉の輿を狙ってのライバルは相当数ですよ。少なくとも私は本気で狙ってます」
「そ、そう。私は外野から応援しとくわ」
「はい、きっと椿さんも参戦すると思いますよ」
(それはないな。昨日の言動から瑛太君まっしぐらっぽいし。ああ、でも御曹司って聞いたら心変わりするのかしら? 心変わりするかどうかで瑛太君への想い度が計れるわね)
考え込んでいると、ちょうどそこへ椿がやってくる。
「おはようございます。桜子さん、美和さん」
「おはようございます、椿さん。ねえ、いきなりでなんだけど、椿さん龍英君を狙ってたりする?」
美和からの唐突な質問に驚くも笑顔で首を横に振る。
「私は龍英君より真田さんの方がいいかな」
「龍英君が上杉財閥の御曹司だって知っても?」
「えっ? そうなの?」
「そうよ、校内は今この話題で持ちきり。そして玉の輿を狙うライバルが増殖中」
「そうなんだ、でも、私はパスかな」
「えっ、嘘!? 玉の輿だよ? 御曹司でイケメンだよ?」
「うん、やっぱり私は真田さんがいい」
「呆れた。美学に反するわ。桜子さんみたいにもっと上を目指しての拒否なら分かるけど、御曹司蹴って東大出のマカロン屋を選ぶなんて有り得ない選択だわ。私たちは選ばれた人間よ? それなりの身分の相手と付き合い、一生が約束されている人種。それをむざむざ捨てるような選択するなんて、貴女とは同じ価値観を共有できそうにないわ。もう私たちと関わらないでちょうだい!」
怒り混じりの強烈な言葉に椿は萎縮してしまう。桜子もなんて言ってよいのか分からず戸惑う。
(美和さんの言い分は上流階級の理論からすると間違ってはいない。私もそうやって生きてきたし、そのための努力をしてきていた。だけど、人を好きになるってことは理屈じゃないし、身分だって超えるものだと思う。瑛太君と再会して少しずつだけど、そう考え出している私がいる。でも、それを今の私が率先して言う訳にも……)
黙り込んでいると椿が恐る恐る桜子に向う。
「桜子さんも、同じお考えですか?」
(椿さん……)
「ええ、美学に反するわね」
「……分かりました。今まで仲良くしてくれてありがとうございました」
頭を下げると椿は自分の席へと戻る。その寂しげな後姿に桜子の胸はズキズキと悲鳴をあげていた。
放課後、美和と早百合と三人で話していると、椿が何も言わず教室を後にする。
(きっと今から瑛太君のところに行くんだろうな。御曹司の龍英君を蹴ってまで瑛太君を選ぶなんて、椿さん本気なんだ。それに比べて私と言ったら。自分の気持ちに嘘ついて何やってるんだか)
苦笑していると、美和がツッコミを入れてくる。
「桜子さん、今、椿のこと鼻で笑ってませんでした?」
「えっ? そんなことないわよ。ただの思い出し笑いよ」
「またまた~。椿のヤツ、きっと今からあのマカロン屋に行くのよ。真田さん慰めてー! って、お笑いぐさよね」
笑い合う美和と早百合を見て桜子は複雑な気分になる。様々な理由によって上流階級から落ちた者の末路を幼少から見てきており、それまで仲の良かった友人同士が手の平を返したように冷徹になる。
利用できなくなった者、一緒にいてプラスにならない者は情けをかけず容赦なく切り捨てる。綾乃が言っていたように自分のいる世界はそういうものだと自覚していた。
反面、今日のようなことがある度に、心のどこかに穴が開いたような気持ちになってしまう。
「ごめんなさい、今日はピアノのお稽古があるので私はそろそろ帰るわ」
席を立つと二人に挨拶をし椿を追う。話し掛けたり慰めるつもりはないが、瑛太との関係がどうしても気になる。
電車を乗り継ぎミルキィの近くまで来ると、椿に見つからないように気をつける。建物の角から店先を見ると案の定、モジモジしている椿が見られる。今日は行列もなく空いているようで、二人は長く話しているようだ。
(何を話してるんだろ。気になるわ。でもこれ以上は近づけないし)
ヤキモキしながら見つめていると、ふいに背後から肩を叩かれ桜子は心臓が飛び出そうなくらいの衝撃を受けた。