二階堂桜子の美学
第十八話 孤立
気持ちを悟られぬよう椿への対応を無難にこなし、帰宅後の日舞も完璧にこなした。夕食と入浴を済ませるとベッドに横になる。夕方、椿から受けた報告はかなりの衝撃があり、以降の記憶がおぼろげになっていた。
桜子自身、事実を受け止めたくないという想いがあるのか考えることにつき逃避してしまう。しかし、そう考えれば考える程、瑛太の顔が浮かび苦悩する。
(もともと身分の違う間柄だ。付き合っても上手く行くことはなかった。何より瑛太君には嫌われていたし、これでいいんだ。これで瑛太君のことを忘れられる)
何度も言い聞かせるが心のもやもやは晴れず、ベッドの上でゴロゴロしてしまう。
(今夜は眠れそうにないな……)
携帯電話に手を伸ばし着信履歴を確認する。昨日までは頻繁に掛かっていた電話も龍英の事件の影響もあり友人からの連絡はない。
仮に桜子から掛けたとしても電話に出ない可能性も高く、コールするのもためらわれる。発信履歴を見るとそこには瑛太の番号も残っており、必然的に最後に向けられた敵意剥き出しの顔が思い起こされた。
(聞きたい、声が聞きたい。顔が見たい。会おうと思えば会えるのに。ホントはずっと会いたかったのに。なんでこんなことに、瑛太君……)
祈るような気持ちで携帯電話を握っていると、ふいに着信音が流れディスプレイに番号が表示される。番号が表示されるということは電話帳に登録されていない番号となり一瞬焦るが、さっき見たばかりの番号ということもありドキリとする。
(この番号は、瑛太君。なんでまた? どうしよう、綾乃が再度通話履歴を調査すれば話したことはバレてしまう。けど、今はとにかく彼の声が聞きたい!)
綾乃への恐怖心を抱きつつも、すがるような想いで通話ボタンを押した。
「もしもし」
「もしもし、真田です。夜分にすいません、今、電話大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「この前のことですけど、言い過ぎました。すいませんでした」
一瞬何に対して謝られているか分らず混乱するが、店先でのことを思い出す。
「いえ、私にも原因はあるので」
「はい、現在進行形で椿ちゃんをのけ者にしているみたいですしね。良くないと思います」
「それは……」
(ちゃんと説明したいけど、それは私の本音も話すことに。言いたいけど、電話では良くない。下手したら綾乃が盗聴してる可能性もある。通話したこと自体は世間話と誤魔化せても内容が知られたらとんでもないことになる。それにこういう事は直接会って言うべきだし。でも、会うところも見られる訳にはいかない。こうなったらもうダメモトだ!)
敢えて長めの沈黙を取ると、桜子は思い切って切り出す。
「貴方には関係ないことです。もう電話しないで下さい。お店にもいきません。お願いします」
「わかりました」
「あと、ずっと行ってなかった軽井沢の別荘には今後も行きませんし、夏休みによく遊んだ川にも行きません」
しばらくの沈黙があり瑛太は承諾し通話を切る。
(瑛太君が鋭かったら察してくれるはず。ダメならそれまでだ)
一縷の望みを抱きながら桜子は携帯電話の電源を切った――――
――翌日、桜子が登校するとクラスメイト全員から明らかに避けられる。いつも桜子の側にいた美和や早百合までもが、よそよそしくなっており、龍英から何かしらのプレッシャーを与えられてたことが推測される。
(私に関わると上杉君に目をつけられる。つまりそういうことか……)
変則的ではあるが自分が孤立する立場になり、生まれて初めて疎外感を知る。いじめられている訳ではないが、実質的にはそれに近い形となっており、今更ながら椿の気持ちが理解できた。
(夏休みも近いし、それまでは大人しくしておこう。上杉君のことも夏の間にどうにかする。瑛太君のことも……)
昨夜の電話を思い出し桜子は空想を始める。
(昨夜の私のセリフから、夏休みにあの川で会いたいというメッセージが伝わったかどうかは五分五分だ。ずっと行ってなかった別荘に敢えて行かないと言った裏を読んでくれれば……。ただ、言った後に批難されなかった点と沈黙の長さから推測すると、何かしら熟考してくれたと考えていいはず)
完全に運頼みで、瑛太がどれだけ察しのいい人間かどうかが問われ桜子は不安になる。子供の頃から馬鹿正直で真っ直ぐな性格をしていたのが思い起こされ、危ういと思いつつもその真っ直ぐな性格が魅力的だったとも思う。
(もし、会うことが出来たのなら、私は私の素直な気持ちを伝えよう。そんなチャンスは二度とないかもしれないのだから)
想いを募らせながら外の景色を眺めていると、席の前に龍英が現れる。
「おはよう、桜子さん」
「おはよう、上杉君」
「今日も綺麗だね」
「どうもありがとう」
「今日の放課後、何か予定ある?」
「今日は琴の稽古があるわ」
「稽古の後は?」
「勉強」
「琴の稽古が急遽中止になったとしたら、その空き時間は予定ある?」
(コイツ、まさか琴の先生をターゲットにするつもりなんじゃ?)
桜子はよく考えてから、ゆっくり口を開く。
「上杉君」
「はい」
「私の家族やその関係者にちょっかい出さないでね? もし、何かあったら、許さないから。上杉君賢いから、許さないって意味、分かるわよね?」
意味深な言葉と鋭い目つきを見て、上杉は動揺する。
「この僕を脅すなんて、さすが桜子さん。そんなふうに言われたの生まれて初めてだよ」
「なんでも自分の思い通りに行くとは思わないことね。私も戦うときは容赦なく、徹底的に戦うから」
桜子の強烈な牽制に対して、それを余裕で受け止めるかのように龍英はニヤリと笑った。