二階堂桜子の美学
第二話 正義のヒーロー
(お姉様、困っているだろうな。早く行ってあげなきゃ……)
川岸に沿って歩いていると、五分ほどで小さな小屋が見えてくる。本来の目的とは全く関係のない小屋だが、通りにあり気にならないと言えば嘘になる。
車が一台停められる程度の木造の小屋で、外観からして人が住めるような雰囲気はしていない。好奇心を抑えられず窓から覗くと、耕作用の器具や小さな暖炉が見える中、成年男性の後ろ姿も見られる。
警戒するかのように室内をきょろきょろと見回しその顔をよく見ると、その人物が別荘でいつも遊んでくれていた隼人であることに気が付く。
(あっ、隼人お兄様。こんなところで何を)
馴染みの顔を見つけ桜子はつい声を掛けそうになる。しかし、その奥にいる人物を見つけて息をのんだ。目に入ったその女性は隼人に抱きつき熱い口づけを交わしている。
(お姉様、なんでこんなところに)
子供ながらに見てはいけないものを見てしまったと感じ、急いでその場から離れて行く。
(あのお姉様が隼人お兄様と恋人同士? でも隼人お兄様は結婚してお嫁さんがいたのに、なんで……)
幼いながらに考えてみるも混乱するばかりで、適切な解答は出てこない。ただ、一秒でも早く小屋から離れなくてはならないという焦燥感が先行し足を早めた。焦りながら川岸を早歩きで歩いていると、ぬかるみに足を取られ転倒してしまう。
(痛っ! 足くじいた。どうしよう……)
鋭い痛みを感じながらそれを我慢し歩いていると、土手になっている木陰で再び転倒する。
(ダメだ、これ以上は歩けない。どうしよう、待っていると言われた場所からは遠いし、もしお姉様が帰って来なかったら)
起き上がることも出来ず、不安になりながら大事にバッグを抱えていると川の先から男の子が歩いて来る。
(瑛太君!)
「あれ、桜子じゃん。こんなとこでなにやってんだよ」
「歩いてたら転んで、足くじいたの」
「お嬢様育ちはこれだから。仕方ねえな、俺が別荘まで背負ってやるよ」
「いい、お姉様が……」
綾乃の名前で先のキスシーンが思い起こされ口ごもる。
(お姉様のことは内緒にしないといけない。あくまでここに居たことにしないと)
「綾乃さんがなんだよ?」
「お姉様と一緒に来てるから大丈夫」
「どこに居るんだよ」
「ちょっとトイレに」
「そっか、じゃあ俺は別荘にいるから、じゃあな」
その場を去って行く瑛太の背中を心細く見送る。歩けない足で独りになるという選択は、小学生にはかなり厳しいものがある。
(怖いし寂しいけど仕方ない。今は我慢しなきゃ。それにしても、お姉様があの隼人お兄様と、なんでだろ。二人は愛し合っているのかな? よく分からないや……)
ボーっとしながら考えていると、川岸の方から、誰かが歩いてくるような足音がし期待を込めて目をやる。そこには、自分と同じ大きさくらいの猪が歩いており、相手も桜子に気がつく。
(猪? 嘘、こっち来てる。怖い!)
動ける足の方で後ずさりするも、猪はどんどん桜子に近づく。声も出せず恐怖心に慄いていると、突然猪の前に木の棒を持った瑛太が立ち塞がる。
「桜子、安心しろ。こんな猪俺が蹴散らしてやる!」
「瑛太君!」
自分とさして変わらない体格の瑛太が猪に向って行く。その後ろ姿は逆光に照らされ、桜子には正義のヒーローの如く光輝いて見えていた。