二階堂桜子の美学
第二十二話 切腹
「ふ、風虎、さん?」
「はい、今は子供の『子』で風子です。二階堂さん、眩しいくらいに綺麗ですね」
「いやいや、風子さんの方が激変だから。もはや別人だわ」
「あはは、まあ、実際に別人ですよ。今は風子を演じているわけですし。本当の私は色気もなく化粧もしない、ツナサンドを一口で食べちゃう『虎』の方の風虎です」
「ホント、びっくりしたわ。ああ、ところで上杉君は?」
「兄でしたら、あそこに……」
入り口付近のテーブルから龍英は桜子たちを見つめている。パーティー会場ということもあり、敵意は感じないものの緊張感が見て取れ油断ならない表情はしている。遠めより眺めていると、背後より突然綾乃が現われる。
「こんばんは、上杉風子様」
(綾乃! このタイミングで来るなんて。できるだけ風虎君には絡ませたくなかったのに……)
「こんばんは、二階堂綾乃様」
「うちの桜子とは既にお知り合いのようですわね」
「はい、ご学友として仲良くして頂いております」
「そう、風子様のように気品溢れるお嬢様とご学友とは、私も鼻が高いわ」
「滅相もございません。身に余るお言葉、大変恐縮にございます」
学校とは全く異なる言動で立ち振舞う風子を見て、桜子は驚きを隠せない。
(流石は上杉家のご息女と言ったところか。所作も言葉も表情も完璧。これが演技だというのだから末恐ろしい)
風子の持つお嬢様としての才能と能力の高さの桜子も関心せざるを得ない。綾乃からの問いに対し難なく対応している風子を横目にしていると、龍英が桜子を見つめたまま歩いてくる。綾乃の手前逃げる訳にもいかず、覚悟を決めて待ち構える。
「こんばんは、桜子さん。今日は一段とお美しい」
「どうもありがとう。上杉君も似合ってますわ」
二人の会話が気になるのか風子はチラチラと視線を送ってくる。その様子を見て綾乃が切り出す。
「風子様、あちらのテーブルにご紹したい方がいらっしゃるの。すこしお時間お借りしても宜しいかしら?」
(来た! やっぱり綾乃のヤツ、私と上杉君を二人きりにするつもりだ!)
「お姉様、私もお供致しますわ」
「いえ、貴女は龍英さんとお話しなさい。あまり大勢で行くのはお相手に失礼ですからね」
(あくまで二人きりにする気か……)
「さあ、風子様。参りましょう」
綾乃にエスコートされては風子も断れず、桜子を気に掛けながらもその場を離れていく。二人きりになると、溜め息を吐いて桜子の方から切り出す。
「貴方ってどこまでも狡猾で情けない人ね。綾乃を使ってまで私と話したかった?」
「話したいさ。大好きな相手だからね」
「大好きな相手にチョーク投げ付けるように指示する人を、好きになる女性がこの世に居るのなら教えて欲しいわ」
「そうだね」
「私、貴方のこと絶対許さないから。例え死んでも許さない」
「当然の気持ちだね。じゃあこれで許して欲しい」
そう言うと龍英はその場で正座し頭を下げる。突然の土下座に桜子のみならず、周りの招待客も驚きながらその姿を見ている。
(プライドの高い上杉君がこんな公の場で土下座だなんて)
「ちょっと、上杉君、恥ずかしいから止めて」
「これくらいの醜態を晒さないと許して貰えないと思う」
「分かったから。もういいから、立って」
桜子の言葉が聞こえていないのか、龍英は土下座したまま動かない。
「上杉君! ホントもういいから」
しゃがみ込み龍英の肩を掴むと、龍英は力なく横に倒れる。
(えっ? 上杉君?)
予想外の事態に疑問を感じ見ていると、タキシードの下に来ている白いシャツが真っ赤になっている。嫌な予感がし急いで上着を脱がすと腹にはナイフが刺さっていた。
(そんな馬鹿な! 切腹!?)
「上杉君! 誰か! 救急車を!」
桜子の一際大きな声で会場内のほとんどの客が二人の方を見る。
「しっかりして!」
「死ぬだけじゃ許してくれないんだろ? だから日本男子らしく腹切った」
「何時代よ! 有り得ないことしないで!」
「これで許して貰える?」
「許さない」
「相変わらず、きついこと言うな……」
「ちゃんと生きた上で、迷惑をかけた学校の生徒や先生に謝らないと許さない」
桜子がそういうと龍英は苦笑し頷く。遠くにいた風子も血相を変え龍英に駆け寄って来る。
「兄様! 死んじゃだめだよ! 私を一人にしないで!」
龍英の身体を抱きしめ泣きながら語る姿を見て、風子が自分の想像以上に龍英を慕っていることを理解する。
(まさか、風子さんの好きな人って……)
予想外の展開に桜子はただただ戸惑う。その惨状を綾乃だけは冷静な表情で見つめていた。