二階堂桜子の美学
第二十三話 決着
龍英が救急車で運ばれるとパーティーは中止とアナウンスされ、皆そそくさと大使館を後にした。綾乃は関係者と何かを話し込んでいるようで、真剣な表情をしている。
話し終わるまでは桜子も帰宅しづらく、仕方なくロビー横にあるソファーに座って状況を見守るしかない。龍英が死を覚悟してまで自分に謝罪するとは思ってもみなかったこともあり、未だ胸の動悸が落ち着かずバクバクしている。
(あそこまでされては私は許すしかない。日本人としてあれを超える謝罪方法はないのだから。私も含めなかなかできることじゃない。これも綾乃の指図だとしたらとんでもない影響力だ。人の命にまで関わってくるのだから)
バックに綾乃が付いている可能性を考慮しつつ考え込んでいると、隣のソファーに小学生くらいの男の子がちょこんと座る。手に持った缶ジュースを開けると美味しそうに飲む。タキシード姿から察するに招待客の子供というのは分かるが場違い感は拭えない。
(小学生かまだ上がる前の子ね。これくらいの子供ってやんちゃだけど可愛いのよね)
温かい目で飲む姿を眺めていると視線が合い、桜子のほうから微笑む。
「こんばんは」
「こんばんは!」
元気の良い挨拶に桜子も嬉しくなる。
「坊や、歳はいくつ?」
「六歳」
(やっぱり小学生に上がる前か)
「お名前は?」
「健太郎だよ。お姉ちゃんは?」
「私は桜子よ」
「桜子姉ちゃんか。美人だね」
(あら、素直な子)
「ありがとう。お父様かお母様と来てるのかしら?」
「うん、お母様と来てる、ことになるかな? 呼ばれて来ただけだし」
(こんなパーティーに子供を呼べるなんて主催者側と相当仲が良くないとできないと思うんだけど。どこのご子息かしら)
健太郎を見つめながら考えていると、マナーモードにした携帯電話が着信を告げる。
「ごめんなさい。ちょっと電話してくるわね」
「うん」
了解を取りロビーの方へ行くと通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「もしもし、風子です」
「風子さん。上杉君の容体は?」
「意識もありますし、命に別状はないようです」
「良かったわ」
「兄様がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「迷惑だなんて。とにかく命が助かっただけ良かったわ」
「そう言って頂けると私も安堵致します」
「風子さん、明日は学校に来るの?」
「はい、兄様が大事ないので通常通り登校致します」
「分かったわ。では、明日またお話ししましょう」
「はい、失礼致します」
丁寧な通話を終えソファーに向かうと健太郎の姿は見えず、ちょっと寂しい気持ちになる。ソファーの前で立ち尽くしているとパーティーホールから綾乃が現れ話し掛けてくる。
「お待たせ桜子。風子さんからさっき連絡があったわよ」
「あ、私の方にも連絡がありました」
「そう、なら龍英さんが無事なのは知ってるわね?」
「はい」
「明日の放課後、二階堂家を代表してお見舞いに行きなさい。くれぐれも粗相のないようにお願いよ」
「分りました」
「ああ、後、私は今から主催者様とお食事が入ったから桜子は先に帰っていいわ。お疲れさま」
いつも通り一方的に要件だけ伝えると綾乃は去って行く。今回に限ったことではないが、深夜から朝まで帰ってこないことが多く、なぜ両親が綾乃の夜遊びを容認しているのか疑問を感じる。納得がいかないものの言われた通り大使館を後にし、準備されたハイヤーに乗り帰宅した――――
――翌朝、教室内で男の子である風虎と話していると、予鈴の少し前に医師を引き連れた龍英が教壇の前に現れた。命に別状がないとは言え、動ける状態でもないことは明白で、風虎も血相を変えて龍英の元へと駆け寄る。
「兄様!」
「風子、お前は黙ってろ」
「でも……」
制止にかかる風虎の手を払い除けると龍英はゆっくりと語り始める。
「今日はクラスのみんなに謝罪するためにきた。桜子さんには腹を切ることで謝罪したが、それでも桜子さんは許さずみんなへの謝罪が先だと言った……」
ここまで話すと龍英は倒れそうになる。
「兄様! 無茶です!」
「黙ってろ! 桜子さんの言う通りで意見はもっともだと思う。それくらい俺がやったことは最低なことだ。ゆえに俺は今日、命を懸けて謝罪にきた。権力をかさに懸け、みんなの恐怖心をあおり、抑圧したこと、本当に申し訳ありませんでした!」
腹を押さえ脂汗を流しながら龍英は頭を下げる。突然のことに聞いていた生徒全員何も言えず固まってしまう。切腹したと聞いただけでもショッキングなことだが、その状態でさらに謝罪に訪れるとは常識外れも甚だしい。
「個別に恨みがあるなら今言ってほしい。慰謝料も含め誠心誠意対応させてもらう」
龍英の言葉で複数の男子生徒が立ち上がる。
「俺、桜子さんにチョークを投げつけられるように脅されたんだけど、これって法律違反だよな? どう責任取ってくれるんだ?」
「慰謝料の支払いなら具体的に言ってもらいたい」
「金なんていらねえよ。この学校に通ってるヤツは大抵そう言うだろうよ。だから、俺は強要罪であんたを訴えたい。それでも受けてくれるんだろ?」
「二言はない」
「おお、言うね。名門の上杉家に顔に泥を塗れるなんて光栄だ」
せせら笑う男子生徒を見て桜子はスッと立ち上がる。
「チョークとは何の話かしら? 私、記憶に無いわ」
桜子のこのセリフに男子生徒は顔色を変える。
「えっ! さ、桜子さん?」
「さっきから貴方たちが何を言っているのか理解できないわ。意味不明なことをおっしゃるのでしたら着席して下さるかしら? 私も言いたいことがあるので」
被害者である桜子にこう言われてしまうと何も言えず、生徒は黙って席に座る。その姿を確認してから桜子は口を開く。
「上杉君の言ったように、昨夜私は目の前で彼の切腹という謝罪を受けました。しかし、彼がクラスメイトにした行いは許されるものではありません。ゆえに私は皆が許さない限り彼を許すつもりはありません。いかがですか? この中に、まだ私以外に上杉君を許せないという方はいらっしゃいますか?」
実害のあった桜子以上に文句を言える者が居ないことを分かった上での意見であり、当然ながら誰一人声を上げる者はいない。
「誰もいないということは、私以外は上杉君に対し文句はない、という判断で宜しいでしょうか?」
静寂に包まれる教室内を経て桜子は微笑む。
「では、今回の件は上杉君の切腹を以て解決としましょう。私だけ許さないというのも狭量で美学に欠けるというもの。そういうことだから、上杉君。貴方は病院に戻り治療に専念するように。宜しいですか?」
「ありがとう、桜子さん……」
龍英はそう言うと意識を失い風虎に倒れかかる。風虎と視線が合うと黙って頷きそれに応え龍英を教室の外へと運んで行く。桜子の采配に女子生徒は全員拍手と賛辞を送り、龍英に文句を言っていた男子生徒すらバツが悪そうに拍手をする。
演技臭くて少々照れるものの、距離を置かれていた椿からも笑顔で拍手をされており、まんざらでもない気分になっていた。