二階堂桜子の美学
第三十五話 対決
対外的な結婚披露宴は卒業後と決まり、今月中に身内だけでの式を挙げると聞いた桜子は流石に緊張する。上杉家は納得済みとは言え、偽装結婚をし二階堂家を騙して式まで挙げるなぞ、普通に考えてもありえないドッキリ企画だ。
その規模も大きく、今回の式等の費用は軽く億を超える。式より前に上杉家の人間とは幾度も会い、今回の件について礼を述べた。特に女性陣からは無理矢理引き裂かれたことを慰められ、これからも全力で支援すると言われる。
こんな馬鹿げた作戦に多額の費用を投じてくれる上杉家には感謝の念しかなく、もしあのとき瑛太と再開していなければ喜んで上杉家へ嫁いでいたに違いない――――
――式当日、互いの親族が楽しげに歓談する中、桜子は笑顔の下で緊張している。当初の予定では三十人程度の式と聞いていたが、蓋を開けると見覚えのないかおぶれも多数見受けられ、その数はゆうに三百を超えている。
中には瑛太の母である久子の顔も見られ、祝いに駆け付けてくれ嬉しい反面、偽装結婚ということが後ろめたい。さらには二階堂家のトップである曽祖父、二階堂繁盛も参列しており輪をかけて申し訳ない気持ちになる。この式を無事終えれば、上杉家の妻としての地位が確定する。もちろんそれは二階堂家への建前で、実際は二階堂家からの解放が主眼となっていた。
結納から式まで龍英の作戦通りに事が運び、後はこの式が何事もなく終わるのを待つのみで、桜子は祈るような気持ちで席に座る。隣に座る龍英も緊張しているのか心なしか表情に余裕がない。滞りなく式が進み、残すところ新郎新婦の挨拶のみとなったところで、綾乃が席を立つ。
「皆様、少し宜しいかしら」
(来た! 綾乃のことだから必ず何か仕掛けてくると思ってた!)
緊張した面持ちで見つめていると綾乃が語り始める。
「宴も終焉にて申し訳ないのですが、ここで一服の清涼剤と言いましょうか、デザートの差し入れがございます」
予想もしてなかった綾乃の言葉に桜子も龍英も顔を見合わせる。
「初秋とは言えこのようなお暑い中、堅苦しいだけは趣きなきもの。一時の涼をどうかお召し上がり下さい」
綾乃が合図を出すと、係員が現れデザートを配り始める。プログラムにない振舞いながら、純粋に皆を思っての行いと感じホッとする。しかし、テーブルに置かれているデザート見た瞬間、桜子はドキッとする。
「この特製アイスマカロンを作ったパティシエをご紹介致します。真田瑛太さん、どうぞ」
瑛太の名前が出た途端、桜子も龍英も驚愕の表情になる。
(あれだけ捜して見つからなかった瑛太君をこの場面で招待!? それよりもこの状況は非常にマズイ!)
会場の扉からは瑛太が現れ新郎新婦をじっと見つめている。二ヶ月ぶりに見る瑛太は真っ黒に日焼けしており、少し痩せたのか精悍な顔立ちをしている。
「真田さんはお若いながら、パティシエとして活躍が期待されている料理人の一人。皆様、ご声援ご贔屓のほどお願い致します」
瑛太の紹介が済むと、親類からは拍手が起こる。
(瑛太君、無事だった。状況は厳しいけど、生きててくれただけでも嬉しい)
嬉しそうに見つめていると綾乃がとんでもないことを口にする。
「続きまして、本日はサプライズとして、只今より新郎新婦の婚姻届記入式を執り行いたいと思います」
真新しい婚姻届を取り出すと、綾乃は会場に見えるように掲げてみせる。
(綾乃、なんて事を! 瑛太君の前で書かせて完全に絆を絶とうとするなんて)
内心焦っていると、龍英がサッと立ち上がる。
「綾乃さん、こんなことは聞いてない。デザートまではいい。けど、婚姻の記入まではやり過ぎです」
(上杉君、頼もしい!)
「あら、龍英君は桜子と結婚したくないのかしら?」
「結婚するから今こうやって式を挙げているんです」
「そうよね。なら、その結婚を祝う為に集まった方々に向けて、最高の意思表示として婚姻届にサインするのも良いイベントだと思わない?」
「イベントをするかしないかは僕が決める。綾乃さんが決めることじゃない」
「決めるのは本当に龍英君なのかしら? 今回のこのイベント、上杉家の当主様から許可を得ての行いだけど?」
綾乃の言葉を受けて龍英はすぐさまの両親を睨む。二人はバツが悪いのか目を逸らしている。式の直前までこの作戦に賛成していた風子までもが俯いたまま動かない。
(やられた。綾乃が手を回したんだ。上杉家まで黙らせるなんてどんな手使ったんだ……)
立ち尽くす龍英を見て綾乃はニヤリとする。
「皆様、只今より、記念すべき新郎新婦の婚姻記入式を行います。どうか、盛大なる拍手で祝ってあげましょう!」
拍手で場を盛り上げ、拒否できない空気が会場を包む。龍英は悔しそうな顔して立ちつくすことしかできない。
(上杉君……)
「龍英君、今までありがとう」
「えっ?」
初めて名前で呼ばれ、龍英は驚いて桜子を見る。
「前も言ったけど、瑛太君と出会ってなかったら、このまま結婚してもいいくらい貴方が好き」
「さ、桜子さん……」
「でも、瑛太君がいる前でそんなことはできないし、自分の気持ちに嘘もつけない。本当に今までありがとう」
龍英にだけ聞こえる声量で感謝の意を伝えると、桜子はテーブルにあるマイクを持ちゆっくりと立ち上がる。
「皆さん、聞いて下さい。私、二階堂桜子はここにいる上杉龍英さんとは結婚致しません。私が愛する方はただ一人。真田瑛太さん、その人だからです!」