二階堂桜子の美学
第三十七話 命懸けの愛

 十年前、別荘から離れた小さな小屋で綾乃と隼人は愛し合い抱き合う。月明かりに照らされた美しい黒髪を優しく撫でながら隼人は囁く。
「綾乃、俺には地位も名誉も何もないけど、一緒についてきてくれるか?」
「はい、生涯貴方についていきます。子供の頃からそう決めていましたから」
「そうか、まあ、俺もなんだけどな」
「ん、じゃあなんで他の女と結婚したのよ」
「ご、ごめん、酒に酔った勢いで抱いた女で本気じゃなかったんだ。信じてくれよ?」
「しかも、子供まで。本当に離婚できるの?」
「ああ、必ず離婚する。俺の生涯の相手はオマエただ一人だからな」
「分かった。信じてずっと待ってる」
「ありがとう、愛してるよ、綾乃」
「私も愛してる、隼人さん」
 互いの愛とぬくもりを確かめつつ抱き合っていると、正親と久子が突然小屋に入って来る。背後にはボディーガードのように体格の良い男性が五人おり、隼人は観念せざるを得ない。
「隼人、貴方って子は結婚している身でありながら、こともあろうに高校生の綾乃お嬢様に手を出すなんて言語道断よ!」
「悪いな母さん。俺たちはずっと昔から想い合っていたんだ。俺たちの間は誰にも裂けやしない」
 隼人は下着姿の綾乃を抱きしめながら語り、綾乃も隼人を強く抱きしめ放さない。
「おい、二人を……」
 正親の指示により綾乃と隼人は強引に離される。小屋の端と端に別れると正親が口を開く。
「今、隼人君は娘を愛していると言った。綾乃はどうなんだ?」
「私だって愛しています」
「そうか、では二人の愛が本当かどうか試させて貰う。真理奈さんと啓太君をここに」
 呼ばれて小屋に入ってきたのは隼人の妻である真理奈と一歳になったばかりの啓太だ。
「二人が一緒になるには邪魔な存在である隼人君の妻子だ。綾乃は真理奈さんを、隼人君は啓太君を殺せ。できないのなら、ここで二人一緒に死ね。そうすれば二人の愛を認めよう」
 正親からの冷徹な言葉に、綾乃と隼人、真理奈も顔を青くする。床には無造作にナイフが二本投げられた。
「そ、そんなことできるか! 自分の子供だぞ?」
「なら、死んで綾乃と一緒になるといい。選ぶのは君だ」
「そんな、どっちを選んでも最低の結末じゃないか……」
「君はそういう最低なことをしていたのだ。さあ、選びたまえ。時間はたっぷりあるぞ。それともそのナイフで私たちに向ってみるかね?」
 ボディーガードが目を光らす中、隼人は床に刺さるナイフを手に取る。
「隼人さん!」
「綾乃、君は生きろ。そして、俺の分まで生きて幸せになれ」
「何言ってるの? ずっと一緒だって言ったじゃない!」
「でも、俺は真理奈も啓太も殺せない。かと言って愛する綾乃を道連れに死ぬなんてこともできない」
「貴方が死んだら私も後を追います」
「綾乃!」
「止めても無駄です。私の夫となる人は隼人さん、貴方だけなのだから」
「綾乃……」
「私、怖くないよ。貴方と一緒なら」
 笑顔いっぱいの綾乃を見て、隼人はもう一本のナイフを拾い綾乃に手渡す。
「隼人さん、天国で会いましょう」
「そうだな、そして、来世があるなら来世で……」
「はい」
 互いに笑って頷くと綾乃は喉に、隼人は胸にナイフを突き刺す。同時に鮮血が吹き出し、辺りを血で染める。それと同時に小屋には白衣を着た医師が突入する。綾乃はすぐに意識を失うが、隼人は胸の出血を抑えながら正親を見る。
「見事だな隼人君。二人の愛はしっかりと見せて貰った。後は私たちに任せなさい」
 正親のセリフを遠のく意識の中で確認すると、隼人は前のめりに倒れ込んだ――――

――数日後、胸の痛みで目を覚ますと目の前には綾乃が微笑んでいる。辺りを見回し病室だと言うことは理解できる。
「綾乃、大丈夫か?」
 綾乃は脇に抱えた小さなホワイトボードに大きく『大丈夫です』と書き、喉の包帯を指差して罰マークを作る。
「声は出るようになるのか?」
 綾乃は笑顔でさっきのホワイトボードをそのまま出す。
「そうか、良かった。それにしてもあの準備の良さとか、一体なんだったんだ?」
 隼人の問いに大丈夫の文字を消し、綾乃はさっと書き記す。
『全て父たちに仕組まれていたことでした』
「仕組まれていたってどういう意味だ?」
 言葉を聞いて綾乃はホワイトボードに長く筆記し始め、書き終えると隼人の前に出す。
『真理奈さんとの件は全て父が仕組んだこと。啓太君は隼人さんの子供ではない。婚姻届も出されていない』
 驚いて起き上がろうとするが胸の痛みで起き上がれない。
「それ、本当か?」
 綾乃は頷くことで意思表示をし、さらに続ける。
『啓太君の父親はちゃんと居る。全て合意の上での偽装家族。今は真理奈さん含め三人幸せに暮らしている』
「そうか、正直複雑な気分だが幸せならそれが一番だ。それにしても、母さんたちはここまでして俺たちの間を裂きたかったんだな」
『それは違う』
「どういうこと?」
『私たちに試練を与え、絆と想いの強さを確かめたかったみたい』
「そうなのか。俺はてっきり身分の差で否定されているのかと」
『二階堂家と真田家は同格の家柄』
「えっ、嘘だろ?」
『生まれたときからの試練だったの。古くから二階堂家と真田家に課せられた使命』
 真剣な眼差しをした綾乃は正親から聞いた話をホワイトボードに書き始めた。


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