二階堂桜子の美学
最終話 恋の美学

 全ての事情を聞いた後は盛大な結婚式が始まり、綾乃が冗談で言った婚姻届記入式も無理矢理敢行され、即日区役所に提出される。兄弟と姉妹が同じ日に入籍するという奇妙な巡り合わせながら、異例なことだからこそ四人の絆はより強固なものとなった。
 龍英や風子を含め上杉家の両親も祝福してくれたが、その一方で桜子の器量を再確認したのか本当に嫁いで貰いたかったと本心を漏らしていた――――


――とんでもない式を終えた数日後、綾乃と二人きりの時間を持った桜子は今回の試練について抱いていた疑問点等をぶつけることにした。邸内の茶室で桜子自らがお点前を行い、綾乃も作法に則りすすった後に茶碗を畳の縁外へと戻す。
「美味しゅうございました。桜子、素晴らしいお点前ね」
「お姉様の指導の賜物です」
「いいえ、貴女の努力の賜物よ。ところで、何かお話しがあってこの場を作ったのでしょ? 何のお話?」
「はい、今回私やお姉様、瑛太さんや隼人さんに課せられた試練についてお聞きしたいと思いまして。結婚式の場では結局詳しい話が聞けなかったから」
「試練の話ね。確かに結婚式では方々への挨拶だけで大変だったものね。いいわ、知ってることは全て教えてあげる」
「はい、一番知りたいことは瑛太さんのことなんですが、別荘で暴行された後、どこで何をしていたんですか? 当時、上杉君がかなり探してくれたんですが見つからなかったので」
「あら? 瑛太さん本人か聞いてないの?」
「聞く前に訪英してしまったので」
「そう、瑛太さんには病院で手厚い看護を受けもらって完治した後、無人島でのサバイバルという試練を受けて貰ってたのよ」
「無人島でのサバイバル、ですか」
「ええ、結婚式の前日までたった一人でサバイバル生活。渡された物はナイフとライターと打ち上げ花火のみで、リタイアのときのみ打ち上げ花火を使うように伝えた。だだし、リタイアすることは桜子を忘れ、二階堂家と生涯関わらないという意思表示にもなると。当然のこと、瑛太さんはリタイアは絶対しないときっぱり否定したけど」
(だから日焼けして痩せてたんだ。瑛太さんも私と同じように相当苦労したんだわ……)
 瑛太の心中を想い、険しい表情を見せる桜子に綾乃はフォローを入れる。
「サバイバルの試練と言っても、受けたのはあの瑛太さんよ? 私たちのような都会暮らしの温室育ちとは正反対。元々山育ちの瑛太さんにとってサバイバルはキャンプの延長みたいなもので、特技の釣りを擁して難なく熟していたらしいわ」
「そうなんですか?」
「ええ、むしろ隼人さんの方がキツイ経験をしたわね。私たちの交際が認められた後も、アメリカ大陸を自力で横断するという試練が課せられたんだけど、半年以上かかってたもの」
「真田家の試練って結構ハードなんですね」
「そうね、まあ男性には肉体的な強さも求められるから仕方のないことだと思う。試練が済んで以降はイギリスで働きながら私と暮らし、そこで健太郎が生まれた。最初は二年後日本に戻り、桜子たちに試練を与える任務に着く予定だったけど、健太郎が年長になるまで育てたかったのと、桜子と瑛太さんの関係を深めるための期間をもう少し取るという意味で延長したの」
「健太郎君はイギリスで生まれたんですね。全然知らなかった。」
「そうよ。後、これは結婚式の時に分かったことなんだけど、健太郎の存在が両家も認めるところになった後、もし仮に桜子が試練に挫折しても私と隼人さんの婚姻は取り消すつもりはなかったらしいわ。何より当主の繁盛様も玄孫となる健太郎をいたく気にいってて、私たちを別つ選択をせぬよう内々に御触れを通達していたらしいのよ。何だかんだ言っても孫には弱いみたい」
 苦笑する綾乃に次いで桜子も微笑む。
「知っての通り私が貴女を導く役目を買って出たと同時に、私たちには盗聴と監視がついた。試練につき貴女を甘やかせないようにね。覚えていると思うけど、屋敷で停電があったでしょ? あのとき貴女にしたアドバイスがギリギリの違反行為だった。精神的に限界が来てるのは理解してたから。危険な賭けだったけど幸いバレずに済んで良かったわ」
「ありがとう、お姉様……」
 厳しい試練を課せられていたのは本当は綾乃自身であったと知り、桜子は改めて感謝の念を心に重ねていた――


――――二ヵ月後、二階堂家において盛大なクリスマスパーティーが開催される。政財界の子女が集まる中、クラスメイトや学校の理事や教諭等も招待されていた。
 仲たがいしていた椿とも今回の件ですっかり仲直りし、これまでのことを謝罪した上で今日のパーティーを心から楽しんでいる。瑛太とのことはちょっと複雑だとは言うものの、お似合いのカップルだと祝福もされた。
 一方、椿をなじっていた美和と早百合も、実は瑛太が上流階級の家柄だったと知ると口を大きく開けた。そして、自分たちの見る目の無さにも辟易したのか椿にも頭を下げしょんぼりしていた。
 ドレスアップした風子も当然ながら参加しており、その美貌に桜子以上の注目を集めている。控え室で二人きりになったときに、ずっと気になっていた好きな相手のことを聞くと、龍英ではなく予想外の名前が飛び出て度肝を抜かれる。
 当該相手が会場に来ているとのことで緊張するものの、想いは告げないらしい。この学校に転入してきたのも龍英の転入時に付き添いとして訪れた際、優しくされ一目ぼれしたことが原因で今はただ見守っていられればいいとだけ語った。
 風虎として男装したのも、その方が接し易いと考えてのことで、そんなに深い意味はないらしい。桜子はその恋愛観にただ驚くばかりで、相手が朴念仁を地で行くアレでは想いはなかなか届かないだろうと踏む。
 そして、一時は気持ちが傾き結婚直前まで行った龍英も参加しており、ドレスアップした桜子の側にやってくる。
「桜子さん、今日もまた一段とお美しい」
「どうもありがとう。上杉君も素敵よ」
 定型な挨拶を返され龍英は溜め息を吐く。
「はあ、やっぱりカッコつけずに結婚しておけばよかった」
「あら、でもそれって偽装結婚でしょ?」
「いえ、偽装結婚と見せ掛けた本当の結婚です」
「冗談でしょ?」
「両親は桜子さんを気に入ってましたし、僕も本気で好きだった。あの場面で僕が率先して婚姻届にサインし役所に提出すれば、形式的とは言え本当に結婚できたと思う」
 本気で言っているらしく表情は真剣そのものだ。
「私がサインしなかったと思うけど?」
「もし、あの場で瑛太が居なくても?」
「それは……」
「あの場は、綾乃さんが瑛太を先に呼び込んだ点が計算だったんだと思う。婚姻届のイベントが先だったら、状況は変わってたと思うよ」
(確かに、目の前に瑛太君が居たから思い切って言えたという面は拭えない。綾乃お姉様がそこまで考えていたなんて)
 遠くのテーブルで歓談する綾乃を見て、嬉しい気持ちが再燃する。
「結局、僕たちは綾乃さんの計画通りに動かされてたんだよ。凄い人だね」
「ええ、世界一尊敬するお姉様。人生を懸けて私に人を愛する意味を、恋の美学を教えてくれた人。これからも私の目標とすべき人」
 桜子の言葉に龍英も素直に頷く。二人で並び綾乃を見つめていると、突然龍英が前方に倒れそうになる。
「うおい! 誰だ、膝カックンするヤツは!?」
「桜子お姉ちゃんに手を出すなよ龍英」
「なんだ、小太郎か」
「健太郎だよバカ!」
「で、健太郎がなんの用だ」
「兄ちゃんがイギリスに行ってる間、俺がお姉ちゃんを守るんだ」
「ちびっ子ナイトってわけか。瑛太め余計な置き土産しやがって……」
 桜子を挟む形で龍英と健太郎は火花を散らし、二人を微笑ましく見つめる。瑛太にはイギリスへ留学するよう新たな試練を与えられ、新婚ながら桜子達は離れ離れになった。来年の春、高校卒業時には桜子もイギリスへと向かう手筈になっているものの、結婚式以降まともに話す機会もなく別れている。
 当然ながら二人きりの時間もなく、一緒に暮らした期間もない。今から待ち遠しい気持ちがありつつ、留学と同時に二人きりの新婚生活が始まると思うと緊張する部分もある。
 賑わうパーティー会場をこっそり離れバルコニーに出る。肌寒い風が吹く中、綺麗な夜空を眺める。後方からは楽しげな笑い声が聞こえてくる。
(クリスマス、か。来年のクリスマスは瑛太君と一緒に祝えるのかな。今は寂しい気持ちと期待と不安、いろんな感情が混ざってて自分自身よく分らないわ)
 瑛太と最後に触れたのは軽井沢でのハグで、瑛太の顔を思い出すと自然とあのときの光景が目に浮かぶ。
(今度会うときは誰にも気兼ねなくハグできる。きっとそれ以上も……)
 その光景を想像し桜子は頬を赤らめる。
「早く会いたいな、瑛太君」
 バルコニーの手すりに両肘を乗せ星を眺めていると背後から声がする。
「あの大きな三角形の星座は、こいぬ座、おおいぬ座、オリオン座だよ」
 聞き覚えのある声に振り向き桜子は驚いた表情を見せる。
「これらの一等星を繋げた三角形を冬の大三角って言って、その中には天の川が流れてる」
 桜子の隣に来ると構わず話し続ける。
「十年前、一緒に見た星座は確か夏の大三角、織姫と彦星だったっけか。あの時、流れ星に願いを掛けようと一緒に見上げてたっけ。君は見上げた流星に何を願ってたんだ?」
「それは秘密。ただ、願いが叶ったのは確かよ。貴方は寝てたけど」
「俺も起きてたよ。だから願っている横顔を今でも覚えてるのさ」
「嘘ばっかり。よだれ垂らして寝てたくせに」
「バレたか」
 笑顔を見せる瑛太を見て桜子も笑顔になる。
「おかえりなさい、瑛太さん」
「ただいま、桜子」
 両腕を広げて待つ瑛太に桜子は躊躇なく飛び込む。瑛太はそれを優しく受け止め抱きしめる。
「瑛太さん、ずっと会いたかった。ずっとこうしたかった」
「俺もだよ」
「なんで日本にいるの?」
「クリスマスパーティーの今日だけ会うことを認められたんだ。綾乃さんの計らいでね」
 振り返りバルコニーから会場を見ると綾乃が笑顔で手を振っている。
「やっぱり綾乃お姉様には敵わないな」
「綾乃さんはいつも桜子の幸せを考えてくれてるんだ。本当に素晴らしいお義姉さんだよ」
「はい、私の永遠の目標」
「桜子は今でも十分素敵だけどな。ドレス姿、普段より増して綺麗だよ」
「ありがとう」
 桜子が見せる心からの笑顔に瑛太は照れる。
「そうだ。結婚式以降、まともに話せなかったし、ゴタゴタして約束果たしてなかったな」
「約束?」
「ああ、俺からの言葉。ずっと待ってたんだろ? それとも忘れた?」
 ずっと待っている言葉と聞いて、桜子は夏にした約束を思い出す。
「そうでした。結婚式と婚姻届が先に出されて順番が完全に逆ですけどね」
「まあ、そうなんだけどな。じゃあ、言わなくていいか?」
「いいえ、お願いします」
 抱きしめ合い近距離で見つめ合いながら、瑛太はその言葉を言う。桜子は零れんばかりの笑顔でその言葉を受け入れる。桜子の返事が終わると同時に、二人は自然と身を寄せ唇を重ねた。
 綾乃に温かく見守られているのを感じながら、桜子はこの愛が永遠のものになると確信する。冬の大三角が二人のシルエットを照らし、それはあたかも二人の幸せを祝福しているかのように力強く光り輝いていた。


(了)
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