透き通る季節の中で
「冗談かと思っていたら、本当に走っていっちゃいましたね」
 つぶやくように言った山下くんは、驚いたような顔をしている。

「あの三人は、負けず嫌いですからね」
「そうなんですか。僕は部活の練習でくたくたなのに、中村さんも青山さんも松田さんも、まだ走る元気があるなんて、すごいと思います」
 驚いたような顔のまま言った山下くんの声は、明るく聞こえた。
 
「それでは、私も帰ります。どうもお疲れ様でした」
 山下くんにお辞儀をして、私は歩き出した。

 一人で歩いて帰るのは久しぶり。

 今から走ったところで、美咲と友紀と松田さんには追いつけない。


「あの、すみません」
 十メートルほど歩いたところで、後ろから山下くんの声が聞こえてきた。

 私はすぐに後ろに振り返った。

 その場で佇んでいたところ、山下くんが私の元に駆け寄ってきた。

「何でしょうか」
「あの、よかったら、一緒に歩いて帰りませんか」

 私はどう返事をしようか迷った。

 迷った挙句、「いいですよ」と言って返事をした。
 

 山下くんは、足が痛いようで、ゆっくりと歩いている。
 私は山下くんの歩くペースに合わせた。

 お父さん以外の人で、男性と二人だけで歩くのは、いつ以来だろう。
 思い出せないということは、初めてなのかもしれない。
 
 なんだか恥ずかしくて、すごく緊張する。
 私のすぐ真横を歩いている山下君も緊張しているように見える。


「佐藤さんは、どうして長距離部に入ったんですか」
 山下くんが私に尋ねてきた。

 私は歩きながら、走り始めたきっかけ。中学生時代のこと。美咲と友紀のことを、山下くんに話してみた。

「佐藤さんは、仲の良い友達がいていいですね」
 寂しげな声で言った山下くんは、友達がいないのだろうか。

「山下くんは、どうして長距離部に入ったんですか?」
「理由はですね」
 山下くんが長距離部に入った理由を私に話してくれた。
 
 山下くんは、幼少時代から体が弱く、すぐに風邪を引いてしまう体質で、小学校も中学校も休みがちだったという。そのせいで、友達ができなかったらしい。
 虚弱体質を改善するため、体力をつけるため、意を決して長距離部に入ったとのことだった。

「足は大丈夫ですか?」
「正直なところ、とても痛いです」
「そうですか。明日は筋肉痛になると思いますので、家に帰ったら、足をマッサージしてくださいね」
「はい。あとでマッサージしようと思います。アドバイスしてくださって、ありがとうございます」
「いえいえ、どう致しまして」

 山下くんと話しながら歩いていると、初めて美咲と一緒に帰った日の記憶が蘇ってくる。

 もう三年前のこと。

 あの頃の私と今の私は違う。

 自分でも成長したと思う。

「僕の夢は、フルマラソンを完走することなんです。頑張って練習して、いつか夢を叶えたいと思っています」
 山下くんは、明るい声で話してくれた。

 美咲の将来の夢は、幼稚園の先生になること。
 友紀の将来の夢は、ケーキ職人になること。
 松田さんの将来の夢は、まだわからない。

 山下くんや美咲や友紀のように、私も明確な将来の夢を持たなければいけないと思った。


 私と山下くんの家は反対方向。
 駅の改札をくぐったところで挨拶をして別れた。

 

 車窓から見える街のネオンの光が、いつも以上に眩く見える。
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