透き通る季節の中で
「さっそくだけど、もう一度、さっきの話を聞かせてもらえるかな」
 お煎餅を食べていたところ、春子さんが話を切り出してくれた。

「はい」

 亮太と出会ってから、死別するまでの八ヶ月間の出来事を、春子さんに細かく話してみた。

「若いのに、苦労したのね」
 春子さんは涙ぐんでいる。同じ境遇の者同士、私の心情を理解してくれているに違いない。

「咲樹ちゃんは、どうやって立ち直ったの? よかったら、話してもらえないかな」

「はい」

 走ることが好きなこと。
 陸上部の長距離部に入っていること。
 三人の親友がいること。
 坂道を全力で駆け上がったこと。

 私は立ち直ったのだろうか。と自問自答しながら、春子さんに話してみた。

「辛いのに、よく頑張ったわね」
 春子さんは涙ぐんだまま、つぶやくように言った。

 会話は途切れてしまい、沈黙が続いた。

 あの時の記憶がフラッシュバックしてくる。

「咲樹ちゃんは、強い子ね」
 春子さんが静かに口を開いた。

 私は強い子なのだろうか。自分ではそうは思わない。

 美咲と友紀とまっちゃんの支えがあったから。





「あの、それで、奇跡のことを話してもらえませんか」

「そうだったわね」

 春子さんはお茶をひと口飲み、昨日体験したという、奇跡について話してくれた。



 四月十七日、昨日は、春子さんと正行さんの、十回目の結婚記念日だったという。

 春子さんは、それまでずっと部屋にこもっていたとのこと。何もやる気が起きなくて、寝たり起きたりを繰り返していたらしい。

 昨日は八時に起きて、日菜子ちゃんと寛太くんに朝ご飯を食べさせた後、ゴミ出しをしに外に出たという。

 ゴミ置き場にゴミを置いていたとき、急に出かけたい衝動に駆られ、お昼過ぎに、日菜子ちゃんと寛太くんを連れて、河川敷に行ったという。



 青空の下、母子三人でキャッチボールをしていたとき、奇跡が起こったとのこと。





 空に、絵と文字が描かれてあったらしい。





 家族四人で野球をしている絵。



 春子さんは、ピッチャー。

 正行さんは、バッター。

 日菜子ちゃんと寛太くんは、内野の守備。



 アンパイアの目線で描かれた構図で、ものすごく下手な絵だったらしい。





 文字は、明るいオレンジ色で描かれてあったとのこと。



 日菜子へ。パパは元気だぞ。また一緒にお風呂に入ろうな。

 寛太へ。パパも野球をやってるぞ。また一緒にキャッチボールしような。

 春子へ。苦労を掛けてごめんな。いつの日か、家族四人で野球をしような。

 

 家族に向けた手紙のように、横書きで描かれてあったという。

 筆跡からして、正行さんが書いた文字ではないかとのこと。



 空に描かれてあったという絵と文字は、数分間で消えてしまったらしい。

 春子さんは、確かに見たという。はっきり見えたという。

 日菜子ちゃんと寛太くんの目にも見えたという。

 河川敷には多くの人がいたのに、他の人には見えなかったらしい。






「信じられる話じゃないでしょ?」
 春子さんが私に尋ねてきた。

「ええ……まあ……その……」
 私は答えに困ってしまった。



 空に絵と文字が描かれてあったなんて、とてもじゃないけど信じられない。

 いったい何をどうすれば、空に絵と文字が描けるのか。

 信じられないけど、春子さんは、平気でウソをつくような人には見えない。

 奇跡を目の当たりにしたから、春子さんは元気になった。

 奇跡を目の当たりにしたから、うつ病が一気に回復した。

 私はそう考えることにした。



「本当の奇跡ですね」

「信じてくれるの?」

「はい。信じます」

「そっか、ありがとう」
 春子さんはとても嬉しそうにしている。

 私もなんだか嬉しい。
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