借金のカタに取られました
有り得ない出会い
「では、約束通り頂いて帰ります」
手を引っ張られて、車に無理矢理乗せられる。
こうして、千那(ちな)が航平(こうへい)に支配される同居生活がスタートした。
千那の両親は、ギャンブル依存症で数カ所から借りた借金の返済に困り、金策に明け暮れていた。
銀行は勿論のこと、まともな金融機関からはもう借りられない状態になっていた。
元々、まともに働いた事なんてないくせに
「他人に使われるのが嫌だから」という勝手な理由で何もしてこなかった代償だった。
両親のどちらかが止めればいいものを、二人は似たもの同士で小さい頃から千那は迷惑を被ってきた。
昔、親戚が肩代わりをして処理したこともあったが、今では誰からも距離を置かれている状態だ。
千那の両親は、最終手段としてネットで見つけた
『どんなものでも担保に出来ます』と書いてあった貸金業者に頼むことにしたのだ。
サイトに書いてあった住所を頼りに、とあるビルにたどり着く。
ビルは、東京のオフィス街にあり、シンプルで都会的なデザインにまとめられていて、世間で言う、「金貸し」のイメージは全く感じられない。
ビルの傍らには
箕島(みのしま)コーポレーション というプレートが光っている。
「意外と綺麗なところじゃないか」と父親は呑気な事を言う。
「そうね」と似たもの同士の呆れた会話。
薄暗い雑居ビルの一室かと思っていたので、少しだけ安心して二人は事務所をノックした。
受付の女性は若くて綺麗な人で、更に安心感が増す。
応接室に通され、しばらくすると長身の若い男性が入って来て、その意外性に驚く。
強面のおじさんが出てくるものと覚悟していたので、拍子抜けした形だ。
若いと言っても視線は鋭く、二人は縮こまりながら彼の顔を見た。
「このネット広告を見たのですが」と父親は古い携帯電話の画面を見せる。
眉一つ動かさない無表情な男は
「そうですか。何が担保に出来ますか?」と父親の顔に視線を移す。
「何でもいいのでしょうか?」
「勿論です」
両親は顔を合わせ、父親が続ける。
「娘でも?」
一瞬、間が開いたが、表情を変えることなく
「その代わり、借金が返せなければ娘さんは担保としてこちらが頂きます」と、二人の顔を交互に見て確認する
ように言った。
「わかりました」
両親は、いとも簡単に了承した。
二人にとって、娘はそれ程価値のないもので、千那も物心が付いた頃から大切にされていないと自覚するほど、どうしようもない両親だった。
しかし、最後に娘を借金の担保として差し出すなんて予想外だった。
結局、借りたお金では焼け石に水で、返済不能となり私は差し出されることになったのだ。
借金のカタとして。
それが決まった日、父親は私にこう言った。
「千那、小さい頃からお前の夢はお嫁さんだったよな。良い結婚相手が見つかったぞ。それも高収入でハンサム
だ。今時、なかなかない条件の結婚だぞ。喜べ」ときたものだ。
「私はまだ十八歳の高校生だよ」と反論すると
「十六歳から結婚出来るから良かったじゃないか」
こんなやり取りを経て今に至る。
走り出す車の運転席には見知らぬ男。
私の平凡な高校生活はもう終わったと絶望していると、男が話し出した。
「お前は、借金のカタに取られたんだ。だからこれから先は俺の言うとおりにしてもらう。心配するな。高校は
卒業させてやる。高校を卒業したら俺と結婚する。それまでは俺好みの女になるように教育する。わかったか」
千那は黙って聞いていた。
ただ学校に行けることが嬉しかった。
卒業まであと半年だし中退はしたくない。必死で奨学金を借りて進学した学校だし、友達にも会いたいし、まだやりたいこともたくさんあった。
「返事は?」
仕方なく
「はい」と返事した。
車が到着した場所は、都内でも有名な高級マンションだった。
街全体が、千那の地域とは違い、高級感に溢れており、他の街とは、一線を画している。
他人にお金を貸すくらいだから、お金持ちなのは当然だが、もっと怖い事務所にでも連れて行かれると思っていたので、違和感を抱く。
もしかして、このマンションの一室はお店になっており、女に飢えた男達が次々とやってきて、その相手をさせられるのではないかと恐怖感に包まれる。
しかし、男の後をついて、マンションの部屋にはいると、広いリビングに真っ白で毛足の長い絨毯が敷かれており、その向こうには東京の夜景が広がっている。
これが、世間で言う、成功者の家なのか。
これからどうなるのか不安で押し潰されそうになっていると、その男は
「そこに座れ」と偉そうに命令してくる。
千那は言われるがまま、ソファーに腰掛ける。
男は向い側に座り、しっかりと千那を見つめ言った。
先程はわからなかったが、意外と若くて少し戸惑う。
時々家に来た借金の取り立ては、いつも脂ぎった強面のおじさんだったので、すらりとしたスタイルに、綺麗な顔立ち、洋服も時代遅れではないようで、まじまじと見てしまった。
「さっきの話の続きだが、お前には結婚するまでに俺好みの女になってもらう。炊事、洗濯、掃除は完璧に、そ
して言葉遣い、服装、夜の生活もな」
千那は諦めの境地で溜息をつく。
「千那、さっきも言ったけど、俺の言ったことには返事をしろ」
命令口調だが、決して声を荒げることはなく、静かだ。
「……はい」
何て偉そうな。いきなり呼び捨てだし。
でも、この立場では何も言えないのが悔しい。
翌朝、目覚めるとベッドの横に男が寝ている。
昨日の出来事を思い出して、やはり夢ではなかったのだと確信し目の前が暗くなる。
慌てて上体を起こして服装を確かめたが、何もされていないようだった。
ほっとしていると
「おはよう」と男の声。
千那は驚いて男を見る。
黙っているともう一度
「おはよう」と言ってきた。
返事をするまで言われるのだと察して
「おはようございます」と返した。
そういえば、昨日ソファーで話しをしていて、夜中だったし、あまりの出来事に神経をすり減らし急激に疲れて、男がお風呂に行っている間に寝てしまったことを思い出した。
リビングに行くと、エプロンをつけた中年の女性が、朝ご飯の準備をしている。
千那を見ると
「おはようございます」とにこやかに挨拶する。
心の準備が出来ていないまま、挨拶を返した。
「お、おはようございます」
後ろからやってきた男は
「こちらはカズさんだ。うちの家政婦。彼女にはお前に家事を叩き込んで貰う。料理はプロ並み、掃除や洗濯も完璧だ。夜は知らないけどな」と朝から下品な会話をする。
「まぁ、航平さんったら」と言って女性はふふふっと笑う。
(ふーん、名前、航平って言うんだ)と考えていると
「千那さん、よろしくね」と握手を求められ慌てて手を出した。
「さぁ、早くご飯食べないと遅れますよ」とカズさんに追い立てられる。
朝食を頂くと 「プロ並み」と言った意味がすぐに理解できた。
家の中を見渡すと部屋もピカピカに掃除されているし、玄関先やリビングに生けられていた花も素敵だった。全てカズさんがやったのだろうか。
食事を終えると航平に
「早く来い」と言われ玄関へ急ぐ。そこに置かれている靴も綺麗に磨かれていた。
「じゃ、カズさん、後はよろしく」
(この男、笑顔も出来るんじゃない)と昨日の冷たい顔を思い出していると
「はい。いってらっしゃいませ。それと、千那さん、お弁当」と和風の包みを渡された。
学校の制服に着替えて、男の後を付いて慌ててエレベーターに乗り、一階に下りてきたのはいいが、
「ここはどこ?」と我に返る。
都内ということはわかるが、最寄り駅はどこなのだろう?
学校の方角は?
キョロキョロしていると腕を掴まれて駐車場に連れて行かれる。
「早く乗れ」
スポーツタイプの高級車が黒く光っている。
「え?」
「え、じゃない。はい、だ」
「はい」
車はスムーズに発車し、迷うことなく千那の学校の前に着いた。
「千那、これからは学校へは俺が送り迎えする。俺が仕事で行けないときは秘書が代わりにする。お前に自由はないし勝手な行動も許さない。わかったか?」
「……はい」
「よし、行け」
千那は車を降りて門へ向かう。
(はぁー、これから寄り道も出来ないなんて息が詰まるな。でも借金のカタに取られたんだから文句は言えない
か)と考えていると
「千那!」と友人の真子(まこ)に肩を組まれ耳元で
「さっきの誰よ、あれ」と言われドキリとする。
「あ、あ、あれは親戚のお兄さんだよ」と見え透いた嘘をつく。
「本当? あんな高級車に乗っているって、何している人? それに随分イケメンじゃない」
真子には本当の事を言おうと思ったが、まさかあの男が金貸しで、両親が私を借金のカタに差し出したなんてとても言えない。
そういえば、年齢も知らないし苗字も知らない。何も知らない男と半年後に結婚するなんて一体どういう世界なんだ。
それに昨日は寝てしまったけど、とうとう今晩、そういうことになるのだろうか。
まさか、初めての相手が出会って二日目の男なんて想像もしなかった。
このまま学校から逃げ出せば助かるのだろうか、いや、そうなると両親が借金を払わなければならなくなる。その前にとても払えるとも思えない。
それどころか、私のために払う意志はないのはよく知っている。
憂鬱な気分で午前中の授業を受けた。
昼休みになり、カズさんという女性に持たされたお弁当を思い出した。人生でお弁当を学校に持ってきたことが
なかったので、忘れるところだった。
恐る恐る開けてみる。
中は芸術作品のように綺麗だった。美味しそうなのは勿論だが、綺麗という視覚的に印象のあるお弁当だった。
真子が覗き込んで
「凄い。綺麗だね。千那が作ったの? あ、千那、料理できないよね」とからかう。
知らないおばさんが作ったとも言えず
「親戚のおばさんが……」と言いかけると
「今日は、やたら親戚が出てくるんだね」とジロリと千那の顔を覗き込む。
「今度、ちゃんと話すから」
「わかった」とあっさり答える。
話せるようになるまで聞かないという、真子らしい性格だ。
授業が終わり門を出ると、遠くに一台の車が停まっているのが見える。
きっと、あちらからは、まだ見えていないはずだ。
急いで裏門へ回り、閉まっている門をよじ登り、スカートをひらりとさせて門の向う側へ着地した。
運動神経がなくても、危機的状況になれば案外簡単に出来るんだなと思いながら身体を起こすと、昨日の男が目の
前に立ちはだかっていた。
「どこへ行くんだ? お前の行動くらいわかる」
人間、諦めが肝心だ。
このまま男から逃げ切るのは不可能だと判断し、無駄な努力はやめる。
それに、どこへ逃げるのかも、全く考えていなかった。実家には帰れないし、帰りたくもない。行く所など初めからないのだ。
「すみません」と観念すると、車の所へ連行された。
千那の姿を見つけるとガチャリと扉が開き、見知らぬ男が出てきて
「秘書の牧田(まきた)です」と言うと、千那の背中をそっと押して車に乗せる。
(これが代わりの秘書というやつか)
黙って千那はこれに従った。
昨日の男は、この牧田という男に
「じゃ、よろしく」と言うと、別の車で走り去った。
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