借金のカタに取られました
千那の初恋
今日は楽しみにしていた北海道への修学旅行だ。

千那にとっては人生で初の旅行だった。

小学生と中学生の修学旅行には行っていない。

小学生の時は栄養失調で倒れ入院中、中学生の頃は、借金で夜逃げに付き合わされて行けなかった。

その時は親戚が借金を肩代わりし、また家に戻ってこられたが既に修学旅行は終わっていた。

暴力はなかったものの、両親は千那に対して無関心で、近所の公園すら連れて行ってもらったことはなかった。

外食なんて一度も経験をしていない。でも恥ずかしくて誰にも言えず今まで生きてきた。だからこの北海道旅行は、どのクラスメイトより千那にとっては特別なものだった。

それにここ数ヶ月、航平に支配された生活をしており、学校や習い事以外は外に出ることがなかった。

それが意外にも航平は簡単に送り出してくれて、手掛けの時に、おこずかいも渡してくれて拍子抜けした程だ。

旅行中、あまりにも浮き足立っているのを自分で感じていたが、誰にも悟られないように必死で押さえた。

北海道の景色は雄大で、小さな世界で暮らしてきた千那にとっては、何処へ行っても新鮮で、写真を撮ったり買い物したりして満喫した。

宿泊するホテルは真子と同室で、たくさんおしゃべりして過ごした。

一階にある大浴場に行き、大きな湯船に二人で浸かりながら真子の彼氏の愚痴やのろけを聞いたりしながら笑い合った。

思わず千那は真子の裸体を見て(航平ならバージンじゃないってわかるのかな)と心の中で思ったりしながら苦笑した。

真子はサウナにも入りたいと言ったが、サウナが苦手な千那は

「フロントロビーで待っているね」と言って先に出てきた。

ロビーでお水を飲みながら、ぼんやりと窓の景色を眺めていると健がやってきた。

ドキリとして思わず濡れた髪の毛を整える。

「千那、お風呂入ったの?」

「う、うん」と制服姿以外を見られたことに恥ずかしさを覚えて下を向く。

「あのさ、話があるんだけど」

「え? 話?」

「うん。ちょっと庭に出ない?」と言われて後ろをついていく。

フロントのガラス張りの向こうに、ライトに照らされたムード満点の庭が広がっていて、中央には噴水が静かに音を立てている。

健は庭に出ると、千那の方へくるりと振り返り

「付き合ってくれないか?」と唐突に言われる。

千那は予想外の言葉に唖然としながらも、夢ではないかと疑う。

「ごめん、急に。あと数ヶ月で卒業だからさ。言っておこうと思って。返事はいつでもいいから考えておいて」
と言って去っていった。

庭に取り残されて、タオルを握りしめながら身体が震える。

あの健が私と付き合いたいなんて。クラスで人気者の健が、こんな地味な私と。きっとからかわれているんだ、後で返事したらまともにとりやがってといって皆に笑われるんだ。

現実なのかどうかもわからず、庭で突っ立っていると真子が肩をポンと叩く。

「どうした? この世の終わりのような顔しているよ」

「真子……」と言った後、すぐに部屋まで真子の手を引っ張り、部屋の鍵をかけて小さな声で今あった出来事を話した。

真子は声を弾ませて

「千那、おめでとう。夢が叶ったじゃない。健のこと、好きだったじゃない」と喜んでくれたが、頭の片隅に航
平の顔が浮かぶ。

それを察してか

「あ、卒業したら結婚するんだっけ? でも今はしてないんだし、高校に居る間は付き合っちゃえば?」とけしかける。

「でも、なぜ健が私なんか」と気弱な声を出すと

「健はおとなしい子が好きらしいよ。何人からも告白されているけど、自分から言ってくるような子は好きじゃないらしい」

頭の中がグルグルして感情がざわざわと波立った。

その後、北海道を周遊したが、健が視界に入るとわざと見ないようにした。

とても顔を見ることが出来なかったからだ。

その間ずっと真子には

「付きあっちゃえ」と耳元で言われて、心の中はグラグラと揺れていた。

航平とは付き合っているわけでもなく、自分の意志で暮らしているわけではない。

「千那、卒業まで半年だよ。卒業したら、航平っていう人に、奪われちゃうんだよね。初めての人は、好きな人とした方がいいよ。健だったらいいでしょ?」と真子は焚きつける。

航平か、健か、なんて考えられないし、それ以前に、誰であっても、まだそんな覚悟はない。

半年後に航平に抱かれるかも知れないが、どこか現実味が無くて、遠い未来として捉えていた。

現に、それまでの事はされているが、絶対に最後までされることはなかった。

答えが出ないまま、北海道の地を後にした。



旅行から帰って家に戻り、荷物を片付けて、洗濯機を回す。

回っている水の渦を見ながら、旅行中にあったことを思い出し、何となく航平の顔を見づらくなる。

そこへ航平がやってきて

「考え事でもしているのか? 旅行で何かあったのか?」

完全に見破られている。

「何も……」

目を見て答えられず反らしていると、航平の顔が近づいてくる。

「本当にわかりやすいな。こっちにこい」と手を引っ張られてリビングに向かう。

「ここに座れ」冷静な口調。

リビングのソファーに座ると、一枚の写真を見せられ

「これだろ?」と答えがわかっていたかのような口調。

写真を見ると修学旅行の写真で、健が私をフロント脇の庭に呼び出した場面が写っていた。

「え? これって?」と驚いていると

「監視なしでお前がどう行動するか試したけど、目を離すとこれだ。明日断れ」

もしかしてつけていた? それより盗み聞き?

そちらに怒りが湧き

「どうしてこんなことするのですか?」と初めて刃向かった。

「それはこっちの台詞。お前は俺と結婚することが決まっている。それはどういうことかわかるか? 俺はお前の婚約者なんだよ。婚約者が別の男に告白されて付き合ってどうするんだよ」

そんな正論はどうだっていい。今は、どうして隠し撮りして盗み聞きしていたかということで、いくら借金のカタ

だからといって、やって良いことと悪いことがある。

「そんなことより、盗み聞きしていたの?」驚きの感情が沸々と怒りに変わっていく。

「それね。俺じゃない。お前に顔が割れていない別の奴が盗み聞きした」と平然と答える。

「航平が指示したなら、航平がしたことと変わらないじゃない」

その言葉を制するように

「俺、今、お前を教育中なんだよ。途中で誰かに手をつけられたら困る。だから見張りを送り込んだだけだ。明日、その男に婚約者がいるので、付き合えませんって言ってこいよ」と捨て台詞を吐いてリビングから出て行った。

航平の言うことは正しい。強制といえども結婚することが決まっているのは本当だ。

健の事は好きだけど、そんな私が付き合うなんて健に申し訳ない。

明日、正直に話そうと心を決めたが、涙が出た。

「好きでもないくせに」と静かに呟いた。

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