借金のカタに取られました
拉致事件
 OLとして働き始めて半年が過ぎた。

仕事にも慣れ、航平との生活にも慣れてきた。

まさか自分が社会人として真面目に働くなんて、想像もしていなかった。

何がしたい、何になりたいと考えたことはあったが、明確な答えなんて出てこなかったからだ。

その点、真子はアパレル業界で働きたいと言っていて実現している。

自分は何の取り柄もなく、ただの平凡な女なので、好きな人と結婚して家庭を築ければよいと漠然と考えていた。
それが今では結婚した人が好きな人になり、順序は逆転してしまっているが実現しているといえばしている。

これ以上、何かを望むことは贅沢だろう。


「星田さんっていつも可愛い洋服着ているね」と更衣室で良く言われたが、これらは全て航平の趣味であり、返答に困った。

この間は

「どこに住んでいるの?」と聞かれて思わず答えてしまいそうになり、慌てて実家の住所を答えた。

一番困る会話は

「彼氏はいるの?」と聞かれたときだった。

「いません」と言えばそれで住むのだが、本当は結婚している、それも会社の社長となんてとても言えず、嘘を
ついているようで罪悪感に苛まれる。

小川先輩とはよくランチに行ったが、いつも自分が嘘をついているようで辛かった。そんな時心の中で

「いつ航平は公にしてくれるのだろう。このままずっと秘密にしておくつもりなのかな」と思ったが、とても本人には聞けなかった。


 週末になると大抵、航平は昼まで起きてこないので、その間、千那は掃除をして洗濯を済ませ朝ご飯を作り、食べ終わるとリビングのソファーで本を読んだり、パソコンをしたり静かに過ごすことが多かった。

千那も雑誌を読んだり、カズさんに教わった料理の作り方を清書したりして過ごした。

そんな平穏な週末の午後、インターホンがなる。

カズさんは今日来ないはずだし、確認の為モニターに映る姿を見た。

ちらりとスカートが見えたので、カズさんかと思い一階のロックを解除した。

しばらくして、玄関扉のインターホンが再び鳴ったので、無防備に扉を開けた。

すると男性二人が千那の腕を掴み、部屋から引きずり出し、エレベーターに運び込まれ車に押し込められた。

それは一瞬の出来事だった。

何が起こったかわからず、声を出そうとしたが、口は押さえられており、その前に恐怖で言葉が出てこない。

車内に押し込められたときに、運転席にいるのが女性だと確認できた。

何がどうなっているのか必死で考えたが、思いつくのは、両親の借金だけで、そう考えると恐怖よりも怒りの感情が大きくなっていった。

航平は、千那が玄関に行ったきり帰ってこないので、様子をうかがいに行き、普通ではない状態に気づいて、リビングに携帯を取りに行く。

それと同時に電話がなる。

「奥さんを預かったから。あなたが来ないから行けないのよ。警察に行ったら殺すから。今から送る住所まで一人で来なさい」

「アケミ! 千那には手を出すな。すぐに行くから」といつも冷静な航平が声を荒げる。

車は三十分程走ると停車し、再び男達に両側から腕を掴まれて、マンションの一室に連れてこられた。

ガムテープで後ろ手に縛られ、身動きできない。

何なの? 航平がお金持ちだからひょっとして誘拐された? それともまた両親が借金したの?

コツコツと靴音が千那の前で停止する。その音の方向を見ると、ハイヒールが目に入り、上に視線を上げていく
と、ボブカットの女がこちらを見下げていた。

「あんた、航平と付き合っているの?」

正直に言って良いのかどうかわからない。

その前に、一体誰なの? 女に恨みを買う覚えはないし、航平の名前を出していると言うことは、彼女なのかと脳をフル回転させていると

「黙っているんじゃないわよ。航平は私のものだから手を出さないで頂戴。これから航平はここにくるから、私の方があなたよりも先に付き合っていたということを証明してもらうわ」

え? 彼女? じゃあ、会社の人ではないということか。元カノ?

この状況を飲み込めないで更に黙っていると、いきなり女の手の平が、千那の顔に飛んできた。

「痛い」と千那の身は縮こまる。

「こんなガキのどこがいいの」と女はぶつぶつと独り言を発している。

悔しさと怒りでわなわな震えていると、部屋の扉が開いた。

「航平!」思わず叫んだ。

女は、こちらに向かってくる航平の前に立ちはだかり

「やっと来たわね。何度連絡しても無視してさ。私に黙って同棲までして。冗談じゃないわよ」

凄い剣幕で、航平を罵っている。

「アケミ、お前とは一度も付き合った覚えはない。何度言ったらわかるんだ。こんなことしていいと思っているのか」

「うるさい! 私を抱いたくせに何言っているのよ」と金切り声を上げる。

え? 抱いた? じゃあ、元カノなの?

付き合っていないと航平は言っているのに、女との話が食い違っている。

「だからアレは」と言いかけたところに、数人の男が部屋に入ってきてあっけなく女は拘束され、車に乗せられていった。

「千那、大丈夫か?」と、手に巻かれたガムテープを解いてくれる。

「うん。大丈夫」と言った同時に、航平から手を差し伸べられ、その手を掴んで立ち上がった。

その手は細く華奢だが、温かく力強かった。

部屋に入ってきた数人の男は警察官で、事件発覚後、航平がすぐに通報し、連れてきたのだった。

事情を聞かれるため、航平も千那も警察に連行される。

警察官から事の顛末を全て聞かされて、やっと理解できた。

その話はこうだった。

アケミは数年前にたった一度だけ、航平と関係を持った。

出会いは仕事関係のパーティーで、取引先であるスタッフの友人であり、直接的には何の関係もなかった。

挨拶した程度だったが、女は何度も航平を誘い、その度に断ってきた。

しかし、その日はお酒を飲まされて、魔が差して関係を持ってしまった。

その後、アケミはストーカーになり航平をつけ回し、家や会社に押しかけて航平が困り果て警察に突き出した。

裁判で半年間の接近禁止命令が出されたが、保護期間を過ぎた頃、航平の事を探偵会社に調べさせ、航平の自宅に同棲している女がいるとわかり激高し、闇サイトで男二人を雇って千那を連れ去った。

保護期間が過ぎてからは、航平の電話に一日十回以上、電話を掛かっていたので、再度申し立てを行う準備をしている矢先だった。

航平は、しばらくしたら諦めるだろうと高をくくっていたが、今回こんなことになってしまった。

警察署の前で、航平は千那に謝った。

「すまなかった。怖い思いさせて」

いつも命令口調の人が謝っていると思うと、クスリと笑ってしまった。

「お前、人が謝っているのになぜ笑っているんだ」と機嫌が悪くなったので

「ごめんなさい。私、大丈夫だから」と慌てて答える。

「俺のこと、一回殴っていいぞ」

「え?」

「だって、あの女に殴られたんだろ。さっき警察で聞いた。俺のせいだ。一発殴っていいぞ」

きっと、これから先、航平に死ぬほど腹が立ったとしても、殴るなんて出来ないし、そんなつもりなんてないが、少し困らせたくて、

「これは貸しにしておくね」と言うと航平は仕方がないなという顔をした。





今日の出来事に疲れて、千那はベッドの横ですやすやと寝ている。

「怖い思いさせたな」と寝ている千那の頭を撫でる。

アケミと寝たのは不覚だった。

パーティーで、それも初対面でやたらアピールしてきたので、何度も断った。

元々タイプでもなかったし、その頃新しい事業を手掛けていたので、相手する暇もなかった。

しかし、行きつけのバーで偶然会って、無視をするわけにもいかず、カウンターの横で一緒に飲んだ。

あれも、アケミが、偶然を装ったと後からわかった。

数日間、仕事に没頭していて疲労もピークだったし、余計なことを考える余裕も、労力も持ち合わせていなかった。

しばらく一緒に飲んで、店で別れればよいと軽く考えていた。

しかし、アケミは一枚上手で、航平が洗面所に立ったときに、グラスに睡眠薬を少量入れ、急激に睡魔に襲われた航平をタクシーに乗せて、ホテルへと運んだ。

女と肩を組み長い廊下を歩いた記憶は、かすかに残っている。

部屋に入り、航平の服を脱がせて、手を掴んで自分の胸を触らせ、下の方を愛撫した。

男の心と体は別物で、下半身に興奮を覚えた航平は、誰かもわからない状態で抱いてしまった。

朝起きて、それがアケミだったと知ったときは血の気がひいた。

「すまない。これはなかったことにしてくれ」と謝ったが、アケミは無言で反応がなかった。

何も言わなかったので、納得していたと思っていたが甘かった。

それ以来、常時、電話は鳴りっぱなしで、社長室にも電話を掛けてくるようになってしまった。

会って話しもしたが、全く聞く耳も持たず、何を話しても埒があかなかった。

最終的には、会社にやってきて、航平を指さし

「この男に捨てられた」と大声を出し、警備員に取り押さえられたのだ。

社内は騒然とし、社員からは白い目で見られた。

航平は仕方なく全体朝礼で社員に謝罪した。長々とした説明は全くせずに、毅然とした態度で、頭を下げ、迷惑を掛けたことを詫びた。

社員達は、そうした航平の態度に好感を抱いた。

元々、アケミが来社した際に、様子がおかしい女と見て取れ、どう考えても、航平には非がないことは明らかだったからだ。

しかし、航平は言い訳を一切せず、皆に頭を下げたのだ。

その後、牧田の助言により、裁判を起こして「接近禁止命令」を出した。

これで終焉を迎えたと思っていたのに、こんなことになるなんて思いも寄らなかった。

女は恐ろしい。

純粋な顔をして寝ている千那を見ながら

「いい女になれよ」と呟いた。


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